メニュー

最新の記事

一覧を見る>>

テーマ

カレンダー

月別

パトラッシュが駆ける!

令和先生 

2019年04月06日 ナビトモブログ記事
テーマ:テーマ無し

教諭ではなく、当時は、講師であったと思う。
三十そこそこ、まだ若かった。
噂では、東大卒の、気鋭の古典文学研究者であった。

その講師が、黒板に自分の住所を書き、言った。
「夏休み中に、手紙を書くように。内容は何でもいい」
要は、自分あてに、近況報告を出せ、ということであろう。
「もし寄越さない者は、来季の成績から、十点減点する」
次回の試験の際に、差っ引くという意味であろう。

手紙なんてものは、出したい者が、出せばいい。
強制とは、教師の横暴ではないか……
生徒からの手紙が読みたいほど、先生はヒマなのか……
生徒間では、不評たらたらであった。

しかしながら、背に腹は代えられない。
十点減点されるくらいなら、方便として、従うよりあるまい。
私は渋々、手紙を書いた。
しかし、書くからには、中途半端はいけない。
字句を選び、推敲を重ね、精魂を込めて書いた。

夏休みが終わり、聞いたところでは、先生の脅しに屈せず、
手紙を出さなかった者が、クラスに数人いた。
私には、そこまでの度胸がなかった。
いや、出さなかった生徒とて、必ずしも、
先生に反発していた訳ではない。
怠惰から、先延ばししている内に、夏休みが終わっていた。
というのが、実のところだったようだ。

そして夏休みが終り、やがて、二学期の中間試験が終り、
期末試験が終っても、
その成績から十点を減点された生徒は、居なかった。

講師は、その高校の出身者であった。
将来を嘱望されていたらしい。
請われて、母校の講師に就任したと思われる。
私達には「徒然草」を教えていた。

しかしながら、クラス内には、古文に興味を示す者など、
ほとんど居なかった。
「やれやれ、次は『とぜんそう』かよ……」
授業の始まる前から、うんざりムードが漂っていた。
では、心弾む学科は何か……となると、私など、
勉強嫌いであり、体育を除いて、何もなかったのだが。

年が替わり、私達は、進級後の科目選択をすることになった。
国語Uは、古文か漢文である。
多くの生徒が漢文を選び、古文は少なかった。
私も実は、漢文派の一人であった。

これに対し、講師が憤懣をあらわにした。
「漢文の方が、受験で有利になるって、
噂が流れているようだが、そんなことはない」
と気色ばんだ。
「○○先生は」と漢文の教師の名を挙げ
「やり方がずるい」とまで言った。
「こすい」だったかもしれない。
受講生の数くらいで、何をそんなに、むきになるのだろう……
私は不思議でならなかった。

もしかすると、何事にも、負けず嫌いの先生だったのかもしれない。
学究肌であり、犀利でもあるが、それは必ずしも、
衆望とは結びつかない。
その一つの例を見るような、先生であった。

その人の名を中西進。
この度、新元号の「令和」を考案されたと伝えられている。
その経歴は輝かしい。
私達の高校を退職された後、海外を含めた、幾つもの大学の、
教授を歴任され、さらには、ある女子大の学長にまで、
上り詰めている。
読売文学賞を受賞され、さらには、文化勲章を受けられてもいる。
私は、たった一年ながら、その偉い先生から、
教えを受けたことになる。

「薫陶を受けた」とは言うまい。
私は不肖の生徒であり、徒然草の真髄どころか、
その枝葉末節に至るまで、
卒業と共に、きれいさっぱり、忘れてしまっている。

 * * *

「令和」「令和」と世の中が喧しい。
皆さん、こんなにも、元号がお好きだったの?……
新元号の載った、新聞の号外を、人々が奪い合っている。
その狂騒の光景を、テレビに見ながら、私はただ驚いている。

私は元々、生年月日などを、西暦で書くことが多かったから、
元号へのこだわりが薄い。
効率だけ考えたら、西暦表記に一本化した方が良い。
と、今も思っている。
メートル法を見よ。
施行された当時は「尺」「匁」「坪」などへの愛着もあったけれど、
慣れるに従い、メートルやグラム表記に、
違和感がなくなったではないか。
西暦には、もっと早く慣れるだろう。
私は、そろそろ、一本化の時期かなと思っていた。
しかし、国民の多くの熱狂ぶりを見て、未だ時至らずと知った。
知らされた。
私も、新元号に付き合って行くよりない。
と言っても、公文書だけだが。
今でも、私信には(年賀状を含め)西暦を多用している。

私は、世の多くの皆さんと違い、素直でないのかもしれない。
皆さんの熱狂ぶりを、冷ややかに見ている。
これを俗に「へそ曲がり」と言ったりもする。

 * * *

中西先生は、今ではすっかり、雲の上の、
おえらい先生になってしまわれた。
その先生が、まだ地上に居られた時、私は一度だけ、
褒められたことがある。
例の手紙である。
それは、新学期になり、差し出した生徒の元に返された。

「●●」と私の名を一番に呼び、封筒を手に
「これはいい」「よく書けている」と言った。
さらにクラス全員に向かい
「手紙文を書く上で、一番大事なのはこれだ」と言い、
黒板に「簡潔」の二字を書いた。
返却された、私の封筒の裏には、赤ペンでもって
「90」と書かれてあった。

後年(と言っても、遥かに後の話だが)私は、
随筆などの短文を書くようになった。
やがて自費出版ながら、随筆集や旅行記を出版するまでになった。
私に、書くことを促したもの。
それは、発酵菌のようなもので、私の場合、無数にある。
それこそ、好きな作家の数だけある。
遠い日に、先生からもらった赤ペンの「90」……
あれも、その一つであったことは間違いない。



拍手する


コメントをするにはログインが必要です

運命

パトラッシュさん

漫歩さん、
人間とは、まったくもって、想像しがたいものですね。
当時は、まったく、予測できませんでした。
かくも偉い先生になることを。

まあ、良い方に外れて、よかったです。
(逆の方だと、困りますから)(笑)

元号が効果的なジャンルも、様々にありますね。
昭和に生まれ、令和に死す。
これだけは、どうやら定まったようです。(笑)

2019/04/07 06:05:56

人生と出会い

漫歩さん

私としては、国の明治以降の出来事や私的な物事に元号が欠かせません。元号によって思い出が鮮明になります。
俳句や短歌なども、あるイメージを持たせる効果があると思います。

ナビ友の生年月日は西暦でいいですね。



パトさんには得難い出会いがあったのですね。
人生の妙味ですね。

2019/04/06 21:25:28

脚光の陰で

パトラッシュさん

シシーマニアさん、

高名になられたゆえに思い出される。
正にその通りです。
周囲に居た人から、思い出されて、世間に知らされる。
これを、有名税というのかもしれません。
他にも、逸話の多い先生はおりました。
それこそ、先生全てにです。
でも、無名ですから、取り立てて人に語るほどのことでもない。

思い出されたのが、スキャンダルでなくて、よかったです。
私なんか、仮に高名になったとしたら、様々な暴露に遭遇することになるでしょう。
ケチだ、助兵衛だ、飲兵衛だ……と、それはもう、大変なことになります。

2019/04/06 20:04:56

過去を語る時には

パトラッシュさん

吾喰楽さん、
確かに、元号の方が良いこともあります。
明治、大正、昭和、それぞれに、自ずと浮かんで来るイメージがありますから。
一方で、西暦も悪くないです。
ここ、シニアナビじゃない、ナビトモでは、生年月日が西暦でなされています。
これで良いです。
実に明瞭です。

2019/04/06 20:03:19

素晴らしい出会いですね

シシーマニアさん

教師は、往々にして人気取りに走りがちな面があります。

でも、数年間の教えが(師匠の場合はわずか一年!)誰かの人生に関わるということもあるのですよね。

素晴らしくもあり、難しくもある、職業だと思います。

更に、その先生のように、高名になられたからこそ、思い出されて感謝される、という職業でもあります。


それが出会い、というものなのでしょうね・・。

2019/04/06 09:48:33

アナログとデジタル

吾喰楽さん

元号と西暦は、アナログ時計とデジタル時計の関係に似ていると思います。
私は、アバウトな時期を思い出すときは、自然と元号を利用します。
年齢の計算は、西暦です。

2019/04/06 09:34:22

PR





上部へ