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パトラッシュが駆ける!

足かけ八年虚仮一念 

2019年03月09日 ナビトモブログ記事
テーマ:テーマ無し

週に一回、私は国会議事堂前まで、出かけている。
“前”である。
in front of である。
inには入らない。
立ち入れない。
夕方六時過ぎだから、正門はもう閉まっている。
そして警官が、何人も突っ立ち、目を光らせている。
入りたくもない。
あそこは、魑魅魍魎の跋扈する、
魔界のようなところだと思っている。

門前に集まり、他の人々と共に、気勢を上げるだけ。
「原発はんたーい、再稼働はんたーい」
これをもう、長いこと続けている。

政府の施策に対する、抗議集会ということになる。
そんな集まりに、この私が、加わっていると知った時の、
世間の皆さんの反応が面白い。
遠慮がちに、あるいは、あからさまに、ほとんどの人が、
お笑いになる。
なんとまあ、物好きな……
そんなもの、叫ぼうが、ケツをまくろうが、
覆るものではないじゃないの……
と口には出さなくても、その目が、そう語っている。

そうだよなぁ、私は奇異なことを、やっているのだなぁと、
私だって、そのくらいのことは、わかっている。
議院内閣制の下で、物事を決めるのは、議員の数だ。
私達が、いくら大声で叫ぼうとて、
そんなものは「ごまめの歯軋り」に過ぎない。
屁にもならない。
それを、百も承知、二百も合点で、それでも通っている。

原発はあぶない。
私達の快適な生活を維持するために、
あんな剣呑なものに頼ってはいけない。
そのツケを、子々孫々に回すのは、さらによくない。
ということを、声に出し、言い続けねばならない。

これを「虚仮の一念」という。
虚仮とは「思慮浅はかなる者」という意味である。
利口者のやることではない。
世間の皆さんの、嘲笑に耐えながら、私は、そんな奇行に加わり、
まもなく八年になろうとしている。

事故が起きるまでの私は、原発なんぞに関心がなかった。
深く考えたことすらなかった。
「安全だ」「発電コストが安い」「経済成長のために欠かせない」などの、
政府や電力会社の説明を、鵜呑み、丸呑み、一気呑みにしていた。

それが「願望を込めた努力目標」であったことを、
事故により気付かされた。
「違うじゃないか、話が……」
「よくも騙したな……」
という思いが強い。
賢者は、素早く頭を切り替え、大勢に順応することが出来る。
愚者は、鈍重で、それが出来ない。
何時までも、根に持つ。
私は、自分が直接の被害者でもないのに、八年前の事故に、
今もこだわっている。

 * * *

事故の直後の初夏、首相官邸前には、抗議の人が殺到していた。
六車線ある道路が、人で満ち溢れ、車も通れなくなっていた。
「原発反対」の声は、その群衆の中に、澎湃として起こり、
絶えることがなかった。
それがどうだ。
一月経ち、二月が過ぎ、三月が巡り、秋風が吹くと共に、
その人波が減った。
文字通り、汐の引くようにである。

拳を振り上げてみたものの、にわかに、物事が変るわけではない。
その辺を見極め、様子見に転じたと思われる。
これを「機を見るに敏」と言ったりもする。
敏でない者、執拗な性格の者だけが、
その後も永田町に通い続けている。
石の上にも三年と言う。
それが八年である。
その執念の深さたるやない。

集会では、意欲ある者が、演壇に立ち、スピーチをやる。
それぞれの視点から、政府を糾弾し、電力会社を論難する。
その合間合間に、全員でコール、即ち叫び声を上げる。

「スピーチをご希望の方、いませんかー」
声がかかる。
「最初から、上手に喋れる人はいません。
場数を踏めば、誰でも慣れて来ます。やってみませんか」
なんてことを言い、主催者は誘うけれど、私は応じかねている。

考えてはいるのだが、踏ん切りがつかない。
腹案もある。
どうせやるなら、人と違うことを喋りたい。
司馬遼太郎さんを、引き合いに出したら、どうであろう。
聴衆を唸らせると共に、私自身も、面目を施せるのではあるまいか。

「都鄙」の差、それは「後世意識」というものが、
あるかないかの差です。
かの田中角栄は、その「鄙」の最たるもので、
後世のことなんか、まったく考えませんでした。
今がよければ、自分さえよければ……です。
今の政治家の多くも同じです。
だから、トイレのないマンションを作り、核燃料の廃棄物を、
後の世代に押し付けて、平気で居られるのです。

なんてことを、喋りたいと思っている。
しかし、これ、聴衆は何のことやら、さっぱり分からないであろう。
都鄙から説明しなければならない。
後世意識とは……というところも、語らねばならない。
下手をすれば、延々たる長講釈になる。

スピーチなんてものは、短いほどいい。
ということを、私はわかっているので、やらない。
というのは、表向きであって、実を言えば、
国会議事堂と対峙する演壇に立つのは、
さぞ足がすくむであろうとの、いわば臆病からでしかない。

 * * *

八時半、帰宅して、遅い夕食を摂る。
飯なんか、どうでもいい。
一杯飲むだけでいい、と言うのだが、共に暮らす人がいて、
これを許さない。
「だめです。ちゃんと食べて下さい」
「はあ」
国会前での赫々たる意気は、何処へやら、私は、
家庭の平和のために、その命令に、唯々として従っている。

ビールが美味い。
たちまち、いい気持になる。
なったついでに、次のような案を、思い付いたりする。

次回は早めに、国会前に行く。
憲政記念館の石垣に座り、持参の焼酎を、
これも持参のお湯で割る。
議事堂の塔を眺めながら、ぐびりぐびりやっていれば、
その内に、人も集まるであろう。

酒の勢いを借り、演壇に上がる。
さすれば、足も竦まないと思われる。
快調な舌で、一席ぶつ。
さぞ、気分がよろしかろう。

しかし、私のことだ。
最近、健忘症がとみに進んでいる。
司馬遼太郎も何も、すっかり忘れ「えー」とか「あー」とか言い、
壇上で、立ちすくんでいる私が、目に浮かぶ。
国会前と言うのは、やはり普通の場ではない。

私は、所詮小心者に過ぎない。
その他大勢の一人となり、付和雷同しているくらいが、
ちょうどいい。
私の運営する囲碁教室で、小学生らを相手に、
訓辞を垂れているくらいが、この身に合っている。



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家庭の平和が第一です

パトラッシュさん

プラチナさん、
長いものには巻かれろ……ということもあります。
政府には反逆しつつ、家庭においては、羊のように、従順になっております。

2019/03/11 08:35:37

唯々諾々

プラチナさん

自分を管理してくれる人に従順な方が気楽で良いのではないでしょうか…。

2019/03/11 00:03:41

被害者に寄り添わねば

パトラッシュさん

yamazakuraさん、
その節は、お寄り頂いたのに、不在して申し訳ありませんでした。
次の機会には、メールを下さり、是非お寄り下さい。必ず、居るようにしますので。

運動と言っても、私は端っこの方に、目立たないように加わっているだけ、とても自慢出来るようなものではありません。
福島県民の苦難を、国民はもっと、理解し援助して上げねばなりません。
喉元過ぎて、その熱さを忘れている国民が多く、私は折に触れ、反原発エッセイを書き続けております。
今回は、3:11を迎え、皆さんに忘れてほしくないので、敢えて、こちらのブログに載せました。

2019/03/10 18:20:51

原発は県民一人ひとりが迷惑に、、

yamazakuraさん

パトラッシュさんお久しぶりです。
素晴らしい運動をなさっていますね。

以前、西荻の「さて」の帰りお訪ねしましたが分からずじまいで残念でした。

3年前、郷里福島の母の亡き後には負の遺産だけが残されました。

原発事故から遠い地区ですが、汚染された土地等々で身動きがとれません。
       (特に山は除染対象外で放射能が高い)
一個人の些細な問題ではありますが
受け継いだ私と姉も高齢者
こうして空き家、所持不明の土地などがますます多くなるのは、政府の怠慢としか言いようがありませんね!

  孫にまで負の遺産はいらないとね。
yamazakura

2019/03/10 11:40:09

思いを同じくする人が居てうれしいです

パトラッシュさん

かわらなでしこさん、
尊敬なんか、しないで下さい。
私は、人と違うことをやるのが、好きなのです。

はい、自愛致します。
私は、身体だけが取り柄の人間ですから。

2019/03/09 14:14:53

敬意なんて、とんでもない。

パトラッシュさん

漫歩さん、
ただ、意地を張っているだけのことです。
地の利のこともあります。
地下鉄に乗り、三十分で国会前に着きますから。
これで半日かかりとでもなると、私も考えてしまうでしょう。

2019/03/09 14:10:30

感謝と尊敬

さん

 8年も国会前行動に参加されているとは 本当に尊敬いたします

原発はすぐにでもなくしてほしいと強く願う一人として、、感謝いたします

(お体 ご自愛ください!)

2019/03/09 11:45:23

行動力

漫歩さん

パトさんの8年の行動に敬意を表します。

原発の危機感を同じくしながらも、パトさんは行動し、私は行動が伴いません。

人間の意志の問題としてこの差は大きいです。

「俺は何もしない人間なのだ!」

今更ながらですが、今日は少々堪えました。

2019/03/09 10:02:50

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