花かるた

天使と言われた男 

2018年11月22日 ナビトモブログ記事
テーマ:テーマ無し

彼の手は内側にギュッと捻じれていた。
そしてその腕はいつも不自然に肩から
ぶら下がっていた。
緊張すればするほど、細く萎えた腕は
別個な意志があるかのように
さらに捻じれ、暴れくねるのだった。

これは
幼いころにポリオに罹患し右半分が麻痺した男の
人生を切り取った物語である。

――――――――――――――――

ある日突然に、その病は彼を襲った。
幾日も高熱が続いた後、その体には
弛緩性麻痺が居残った。
小児麻痺と言われる病気だった。

この家はなぜか男児が育たず、すでに2人の男児を
失っていて、この子は今や唯一の息子だった。
父親は死に物狂いで西に東に病院を探して奔走した。

名医と聞けば汽車を乗り継ぎ、どこまでも行って
息子の体を見せた。

昭和一桁の時代の事である。

その頃の医療技術では、どのような大病院で
権威ある名医と言われていても、医者が
自画自賛する程の効果は得られるはずもなく
「動けるように」するという
医者の言葉に縋り、祈る思いで幼い身体に
繰り返しメスを入れた。金に糸目はつけなかった。

だが手術をする程に、息子の身体が動かなくなって
いった時の恐怖。果てしない絶望。底のない後悔。

    この期間を越えて後、父親は大の医者嫌いになった。
    以来、こと我が身に関しては死ぬまで決して
    医者を頼る事はないくらいに。

ここに小児麻痺を患った子供の長い一生が始まる。

頭脳明晰、運動能力にも秀でた父親は
ただ一人の生き残りである大切な男児に降りかかった
理不尽にいや己の希望を粉々にされた現実に
打ちのめされた。

その後、彼の下に生まれた四人の妹たちは
年下の残酷さゆえに、小さな自分にも
能力の劣るこの兄を無邪気に軽んじた。

そして

母親は張り裂けんばかりに胸を痛めながら
生かされたこの息子を、生涯にわたって
人々の好奇の目から庇い、幼子のように手を引いて
支えることになる。

知能は7歳ほどでも、身体は大きくなって少年から
青年にと育っていく。
右半身は冷たく筋拘縮したまま、左半身だけが
不釣り合いに逞しく成長した。

誰にも本人にも気づかれることなく身体は
着々と育っていた。

近所に住む男が優越感剥き出しにからかった。
精の放出がいかに快感であるかという事を。



ちょうどそんな時、この家に女の赤ん坊が誕生した。



適齢期にさしかかり嫁入り前の妹たちが、
奪い合って囃し、抱いたり背負ったり、
添い寝したりする隙をみて彼はこの姪の枕元に通った。

おどけ顔を作り、麻痺して回らぬ舌であやす。
小さな赤児がこぶしを握って
彼を見て無心に笑う様を飽きずに眺め

それから、いつも愛おしさが
胸の中にいっぱいに溢れるのだった。

彼は子供が大好きだった。この子を見ているだけで
温かい幸せがこみ上げてくる

                    続く
https://youtu.be/C1mRSXruib0

彼の左半身は力強く「今この時」を生きていた。

そして同情したり奇異の目でジロジロと見たりする
世間の人々を、彼は全く気にかけなかった。

この自分の意に反する、すこぶる使いにくい身体。
彼は諦めなどとも違う静けさで、それを受け入れ
一度でも、こんな体であることを嘆いたことも
悔しがったこともない。
健常者の身体に憧れたこともない。

彼は何を不条理とも思うことなく
全てをそのままに受け入れていた。

そして父、母、姉や妹が複雑な思いを
こらえきれずに時として、胸の奥からのぞかせる
強い苛立ちも、黙々と受け止めた。

彼に一体何が言えようか。

肩を落とし大きな目に哀しみを
いっぱいに浮かべ、そんな顔を見られないように
彼はうつむくことしかできない。

だが

人々の「たられば」に縛られ、どんどん不自由になる
日常とは違い、不思議なことに彼の魂は生きる喜びに
溢れていた。何も持たないのに彼は生きていることが
楽しかった。

彼と少女はピュアーな魂で結ばれた親友であり、
同志であり、大人の家族の中で2人は子供だった。

その意味で言えば不自由なその身体ゆえに
誰よりも、自由でいられたのかもしれない。

そしてあの日、全く力が入らない身体とともに
目覚めて以来、この世に存在するあらゆる病は、
もう二度と彼に近づくことはなく、70年間を
病気ひとつせずに生き抜いた。


                   続く

https://youtu.be/rSMQNw34SuI


濃い朝靄が立ち込めている早朝。
白い靄の中から右に左に傾いて踊るような
足取りで奇妙な男が姿を現した。

彼の仕事は山に入って薪木を調達すること。
明けても暮れても、日々休むことも倦むことも
なく仕事に精を出す。

家の裏には専用の仕事部屋があり
山で朽ち倒れた木や、天災で折れた木などを
担いで運び、此処で運びこんだ木に鋸を入れ
薪にするのだ。

薪はいつも窓の辺りまで整然と積まれていた。

小学生になったあの赤子が学校が終わると
真っ先に顔をだす。すると彼は得意になって
自由になる左手で鋸引きをして見せてやる。

少女は自分もやってみたいと言い、鋸を引かせて
貰うのだが非力なために鋸を傷めてしまう。
怪我をしないために、道具の手入れを怠りなく
点検しているのは、彼の父親だった。

彼は、このやりたがりの姪のせいでいつも
父親に叱られていた。

母親がニコニコと2人分のおやつを運んでくる。

彼は切り株に腰を下ろして、山の中がいかに
素晴らしいか、そして山葡萄やアケビが沢山
成っている秘密の場所もあることを、回らぬ舌で
語って聞かせる。

少女は目を見張って未知の世界を聞きほじり
それから、学校で習ったばかりの歌を歌ってあげる。

だが少女はどんどん大きくなっていく。
いつしか彼は、子供のまま一人になった。


広い居間の真ん中に大きな薪ストーブがある。


真夏の前後をのぞいて、いつも赤々と燃えていた。
それを取り囲むように大勢の家族が座り
お茶を飲み、他愛のないお喋りをしては
笑いさざめき、時には花札やマージャン
将棋や囲碁などのゲームもする。

ここはいつも楽しく華やぎに満ちていた。
この赤い火のまわりで安心で安全な満ち足りた
どれほどの時間を家族の其々が過ごしたことか。


一人ずつ櫛の歯が欠けるように彼の妹たちが
嫁いでいった。

今は彼の父も母も、姉妹も、彼自身も
居なくなってしまったが、この赤い火は
いつまでも人々の心を暖めてくれるだろう。

彼が黙々と燃やし続けた優しく揺らぐ赤い炎。





――――エピローグ―――――


彼の葬儀で若い喪主が挨拶をした。


   この上なく純真で
   天使のような人だった。と


   誰もが深くうなずいた。


                 完

https://youtu.be/U_AY5PZ6RXk



拍手する


この記事はコメントを受け付けておりません

PR







上部へ