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独りディナー
Rayさんの夫人
2018年11月21日
テーマ:一人暮らし
短い文章ながら、レイさんの夫人にメールを送った。
簡単な、自己紹介も含めて。
朝起きてみると、彼女からの返信メールが既に届いていた。
国際間のメールは、時差があるだけに、一日を二倍に使える印象だ。
送られてきたメールには、
「あなたのことは知っています。
もしかしたら私達はお会いしているのかも知れませんね。
そして、彼の写真のコレクションには、あなたの(あなた達の?)写真が、何枚もあります。」とあった。
更に、メールの最後には、葬儀の礼拝にアクセス出来るように、Username と Passward と、日時・アドレスが書かれてあった。
そうなのだ、私達には希少価値があったのかも知れない。
その社会では、私達が唯一の日本人夫婦だったから・・。
主人が、東欧圏の人達と、親しく交際する様になったのは、ポーランドの親友スワヴェックを通してである。
極めて行動的な彼は、数十年前、アメリカの国際学会で
「あなたが、○○博士ですか・・」と、突然話しかけてきたそうだ。
「もっと、年配の人かと思っていました」
そして、翌年だったか、ポーランドで開催される国際学会で特別講演をして欲しい、と言われたのだそうだ。
主人は、ポーランドなら私も喜んで付いてくるだろう、と考えて快諾した、と言っていた。
ポーランドという国は、ピアノを弾く者達にとっては、ショパンの祖国だから、特別な響きがあるのだ。
スワヴェックと主人は、余程気が合ったらしく、彼も日本へ度々訪れてきたし、私達も何度も彼の別荘にお邪魔した。
新しく建ったばかりの別荘に泊めて戴いた、最初の客は私達だった、と後で知った。
隔年に開催される国際学会の、常連さんの一人が、先日亡くなったレイさんなのだ。
ネイティヴのレイさんの英語が、私には一番難しかったが、冗談好きの彼が何かしゃべる度に、ドッと来るのが常だった。
それにしても、皆さんジョーク好きで、何かオチが無ければ話すに値しない、という雰囲気さえあった。
やはりジョーク好きのスワヴェックが語るのは、「昔、ユダヤの老人がいてね・・」から始まった。
それが、いつの頃からか、「昔、ロシアの老人が居てね」に変化していったのは、面白かった。
揶揄する対象が変わった、というその辺のニュアンスは、当事者で無ければわからない。
レイさんの夫人は、しっかりしてるなぁ。
私は、主人が亡くなった夜、スワヴェックにはメールを送った。
彼は、国際学会の事務所を始め、色々なお仲間に知らせて下さったのだろう。
親しくしていた方々から、次々とメールが届いたけれど、私には返信する気力が無かった・・。
自分の中で、英語は母国語では無いから、と言い訳をしながら・・。
明日の正午、葬儀の礼拝があるそうだ。
日本時間では、夜の九時。
生憎、明日の夜はお食事会の予定が入っているが、スマホで何とか参加しよう。
世界中の親しい友人達が、同じ時間にレイさんを偲ぶ、というのはちょっと感動的である。
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