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ほっこり
夢〜先祖A
2018年10月02日
テーマ:小咄
(9/4・続き)
内海には多くの戦さ舟が漂っていた
その中には倒れた鎧姿の武者、漕ぎ手の骸
軍船とその一枚楯には無数の矢が突き刺さり
それまでの海戦の凄まじさを物語っている
多くのもののふは海の底へと消えた
郎党共の骸や旗ざし物が波間を漂っている
漕ぎ手を失った櫓も無数海原に散らばっている
白旗と赤旗の戦さは潮目(潮流)の変化を境として
その勝敗を決した
赤旗の軍勢は敗れ去った
しかし、かろうじて生き残った集団がいた
彼らは追っ手を防ぐ為、殿軍の軍船に後を託し
西へ西へと必死で漕いだ
落ち武者共の大半の
諸籠手の肘金は外れ、手首の緒は切れ落ち
鎧の大袖草摺には無数の矢が突き刺さっている
十七人の武将と漕ぎ手、お供の女達を含め数十人
そこには御守りすべき幼いおのこがいた
彼らは瀬戸内海を抜け、関門海峡を西へと向かい
そして、更に北へと逃れた
あの敗戦の海では、自らを犠牲として楯となった者共、北へ東へと逃れた集団、そして西へ落ちた者達とに別れたのであった
この西へ逃れた者達こそが一番重要であった
四方へと敢えて散ったのは敵の目を欺く為であった
この御守りすべき幼き〜おのこ〜こそが
いや、ただの男児ではない
恐れ多くも正真正銘、天皇その人であった
その母は入水したが相手方に救出されたのである
この一行はその後対馬に流れついた
この幼き天皇がそれ以後どのようになったかは
残念ながら話が伝わっていない
夢に現れたその武将は私に言った
「このことは決して口外してはならぬ」
・・・・
我が家のご先祖様は平家の武将であった。
戦中まで詳細な家系図も残っていました。
壇ノ浦の戦いで平氏は破れ、安徳天皇も没したと言うのが歴史の定説であります。しかしながら、我が母方の伝承では安徳天皇は対馬まで落ち延びて生きながらえたと話が伝わっています。
その時、お供した十七人の武将の一人がご先祖様なのです。真偽はともかくこんな言い伝えが我が家系には残っています。母は戦時中、その祖母からこの話を聞かされたそうです。時代が時代だけにこの話を外でしたら憲兵に捕まるから絶対にしてはいけないと念を押されたそうです。
その後、対馬では殿様に乳母を出す武家として一族は続いたそうです。時は下って、お謡いの先生なども輩出したそうで、祖母の妹は踊りの名取(花柳流)でもありました。その血筋のせいか私も含め趣味で楽器を弾く者の多い事(技量は別問題)。
ちなみに我が家の苗字、長野県や京都府などにもいらっしゃいますが、やはり平家の落ち武者です。
知らぬ遠縁の人が各地に存在しています。
今更、源氏だ平氏だでもありませんが、ルーツを知るのは楽しいことです。
私だけの「クンタ・キンテ」がいるのです。
・・・
○ テレサ・テン〜時の流れに身をまかせ 5:02
https://www.youtube.com/watch?v=WoTK5Aon-6M
スタジオ・ライブ影像〜いつ聴いても心に響く歌声!
・・・
「ささいな創作」に拍手、コメント有難うございました
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月あかりさんへ
先のコメントを拝見しお返事書こうかと思っていたところでした。(^^)
家系図は残っていましたが、話は口伝です。
代々受け継がれてきた話なので信じたい気持ちが強いのです。
義経が生き延びて大陸に渡り後のジンギスカンになった、信長は実は生き延びたなどのまゆつばものも多いのが歴史の世界〜
真実は神のみぞ知る
2018/10/03 15:17:39
平家・落人物語
2〜3の書物でしか知らない世界です。
それすらも現代とはかけ離れた未知の
世界。昔、一生懸命に覚えた歴史が本当は
違うものだったかもしれない。
>私だけの「クンタ・キンテ」がいるのです。
折角、面白い、創作話を書かれましたのに
昨夜、眠い目を擦ってボ〜っとしながら
ポンコツなコメントを残したので削除しました。
創作話の邪魔をしないようなコメントを
したかったのですが、出直します(^▽^;)/
2018/10/03 09:57:35
猫守さんへ
本文は創作です
おそらくこんな感じではなかったかと
想像して書きました
苗字にはそもそもの出自が隠されているように思います
私の苗字は少ない部類に入るので逆にそのルーツが分りやすいのかもしれません
伝承の話からすると平氏の武士として京都にいた可能性が高いと考えています
都落ち〜壇ノ浦〜落人・・この流れでしょう
想像の世界は自由なので色々と想いを巡らせています
ばりばりの京男の頼朝が鎌倉に幕府を作り
関東武士の足利尊氏が京都に幕府を作った
歴史は面白いです
2018/10/02 15:27:59
平家のその後は
多くの人の関心を引く話題のようですね。、平氏の末裔が現存するのは落武者部落が山間僻地に現存するのですから疑う余地は少ないと思います。
全国の苗字・系譜を調べたときに平氏にルーツを持つ人たちの多さに私は感心した記憶がありますが、頑張って生きてるのを知るとなんだか心強くなります。
仮に創作であってもとても面白かったです。(^O^)
2018/10/02 11:58:38
みのりさんへ
九州の五家荘や椎葉村など各地に平家の落人部落は多く残っています
沖縄の竹富島もそうだと思います
私の伯父が福岡・大宰府の観光バスが立ち寄る土産物センターに出店していた時の事ですが、長野県の方が来店されて苗字がたまたま同じだったので会話がはずんだそうです。
すると、その方も平家の落人の家系だったらしく、先祖は同じ家系ではないかと話が広がったそうです
2018/10/02 09:10:17
漫歩さんへ
歴史には真実、いわゆる真説、通説、俗説などが入り乱れています
真説は一次資料(書簡、日記など)によるものが基本になります。
後世に書かれた書物には真実とは異なる記述が多いし、その時の権力体制の中で誰が書いたかなどの問題が内包されているのでまずは疑ってかからねばなりません。
我が家の伝承も果たして真実かは全くもって定かではありません。その信憑性は低いものです。
しかしながら、子孫の一人として信じたい気持ちが強いのも事実です。
壇ノ浦の合戦の時の義経の八艘飛びなど噴飯ものだと思います。
当時の鎧姿フル装備、約30kgです。
小柄な武士がそんな重たい姿で舟を飛び回ることはまず不可能ですよね。
関ヶ原、本能寺の変他〜さまざまな歴史の通説は今、新たな一次資料の発見や発掘でくつがえされているものが多いです
江戸時代の書物、後世の講談、芝居、戯曲などの影響が大きいと言わざるを得ません
TV時代劇や大河ドラマ然りです
2018/10/02 09:03:10
歴史と真実
私の好むテーマです。
とても新鮮で興味深く読ませて貰いました。
建礼門院をはじめ多くの女官が救出され、多くの武将も逃げ延びた(安徳帝は御座船には乗っていなかった説もあるようです)はずですから、ぼてさんの家系の真実味は高いと思いますね。
清和源氏と桓武平氏.。
源氏と平氏の出自とその覇権争いの歴史、平氏のその後は、私は子供時代とても関心をもち、今も続いています。
2018/10/02 08:24:19