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人生いろは坂

食べると言うこと 

2011年05月21日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



 先にユッケを食べた人の中に病原性大腸菌0111に感染し死亡人まで出てしまいました。そもそも
肉食自体が贅沢なのに、ましてや生肉を食べるとは、私達世代には考えられない事でした。

 私達現代人は食に関し異常なまでの執着心を持っています。テレビの番組を見ても食に関する番組は
非常に多く日常茶飯事放映されています。料理番組から果ては大食いまで様々です。

 幕末にも同じような現象が見られたようです。一方では食に飢えて死んでいく人達がたくさんいると
言うのに、日本人は同じような罰当たりなことを繰り返しているのかも知れません。

 ある意味、ものが豊で平和だから出来ることなのかも知れません。あの忌まわしい東日本を襲った
大震災と大津波、同じような事は昭和8年にも生じています。昭和8年頃と言えば5.15事件などが
起き、時の宰相犬養毅などが暗殺されています。軍部の台頭と暴走が始まった時代です。そして政治的
にも混乱をしていた時代です。

 その上、東北地方一帯は冷害で米が不作だった事など社会的な混乱期でもありました。日常的に
貧しかった農村部に冷害が追い打ちをかけたのです。当時の農村地帯に於ける生活は、大地主が広大な
農地を所有し、多くの農民は小作に甘んじていました。いわば特権階級だった大地主と小作に苦しむ
農民に二分されていました。

 NHKの連続テレビドラマ「おひさま」を見ていただくと戦前の農家の様子が良く分かると思います。
冷害に遭った農家は娘を売りに出し、娼婦に身を落とした少女達も少なくないと聞いています。

 戦前の日本人の多くは長く食べられない時代が続きました。貧乏人は麦飯を食えと揶揄された事も
ありました。白いご飯は食べられず稗や粟、豆や芋など代用食が常習的だったようです。それでも
食べるものがあれば良い方だったのかも知れません。

 私の幼少期である戦後にも一時期そんな時がありました。まして農家でもないものに、まともな食事
など望むべくもなかったのです。学校へ弁当を持って来ることが出来ず、昼食時になるとそっと教室を
抜け出して行くような子もいました。

 サツマイモだけの弁当が恥ずかしくて隠すようにして食べていた子もいました。冬休みの後、お餅を
焼いて弁当代わりに持ってくる等と言う子は良い方だったかも知れません。その頃は学校給食なども
なく、おかずと言えば卵焼きと梅干し一つという粗末な弁当が当たり前でした。

 牛肉などと言うものを食べることが出来るようになったのはいつの頃からだったでしょう。鶏の肉
だって肉そのものは買えないからアラと言って骨の部分を買ったり、モツと言って内臓を買って食べて
いました。それでもとても美味しいものだと思っていました。

 今は牛肉も豚肉も鶏肉も日常当たり前のことになっています。この日々大量に消費されていく肉類は
どのようにして作られているのでしょうか。多くは輸入した配合飼料を使い、肥え太らせたものです。

 母方の祖父の家では、あの有名な松坂牛を育てていました。三重県でしたから正真正銘の松阪牛
でした。それらの牛も餌はというと麦を炊いたものなどを食べさせていました。非常に贅沢をさせた
牛たちだったのです。

 大量に消費されている牛乳も同じようにして作られています。いわば自然の中で育てたものではなく
人工的に肥え太らせたものなのです。更に鶏肉は狭い場所に押し込められ、まるで工場生産されている
ような環境で育てられた鶏たちのものなのです。

 そこには、命というものの存在をほとんど感じることが出来ません。しかし、牛や豚や鶏たちは、
命を持ったもの達です。みんなが愛しているペットと同じ仲間です。人間と同じほ乳類なのです。
遺伝子の大半は私達人間と共通のものを有しています。

 肉を食べると言うことは、ある意味、生き物たちの命を頂いていることです。その命に対し、この
ような扱いで良いのでしょうか。

 一部の野菜はハウスの中で作られています。季節はずれのトマトやキュウリ、様々なものがあります。
果物も同じです。これらは莫大なエネルギーを消費しながら作られています。旬のものを旬に食べる。
これが食べると言うことなのではないでしょうか。

 その上に大量の化学肥料と農薬、果ては除草剤まで使われています。あのホームセンターの店頭に
並んだ夥しい除草剤はどのように使われているのでしょうか。岡山の穀倉地帯と言われている農道の
ほとりにはほとんど草が生えていません。地面が露出しています。草を刈るのが面倒だからと言って
常習的に除草剤を使った跡です。草の生えない農地で作られたものが安全だと言えるのでしょうか。

 私達は便利さに流されて何か間違った道を歩いているのではないでしょうか。大量のエネルギーを
湯水のように使っています。

 原発事故後の電力需要が懸念されています。何から何まで電気に、あるいは石油に依存するような
生活が今も続いています。季節はずれの野菜や果樹、日々大量に消費される肉類、こうした生活を
見直せば十分すぎるほどの電力だと思われるのですが。

 ましてや都会のビルなどは、窓はあっても開けることの出来ない窓です。誰がこんなものを作って
しまったのでしょうか。原発問題を論ずるとき、経済と私達、私達自身の生活を見直さない限り必ず
愚かなことの繰り返しになる事が懸念されます。

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