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敏洋’s 昭和の恋物語り
信州・箱根での美術館巡り 第二章 ポーラ美術館〜モダン・ビューティ〜(Last)岡田三郎助[あやめの衣]
2016年12月30日
テーマ:テーマ無し
今回の目玉的な、展示です。
中世における女性たちのファッションに触れたくて計画した今回の旅です。
構想中の[マリー・アントワネットに恋した男]がフランスを舞台にした作品であることから、少しでもその雰囲気に浸りたいと考えたわけです。
さてさて思惑通りに、中世おフランスに飛び込むことができますやら…。
あやめの衣
艶っぽいですねえ、実に。
結われた黒髪を支える白いうなじに、ぐぐっときちゃいました。
見えそで見えぬ横顔が、また良いですわ。
観る者の想像をかきたたせますですなあ。
なでやかな曲線のなで肩は、まさしく女性です。
そのなで肩からするりと落ちた浴衣―紺の下地にあやめの花が描かれて、横に走る赤い線が女の色香を十分に漂わせている。
脇の斜め線から腰のくびれをしっかりと感じる。
こんもりとしたお尻の膨らみもまたあやめの膨らみから感じられる。
成熟した女性であることは、白い背中が雄弁に語りかけてくるようだ。
実に、白い背が悩ましい。
作品解説――ポーラ美術館HPより
岡田三郎助は、6歳で上京し旧佐賀藩主の鍋島直大邸内に身を寄せていたが、そこで同郷の百武兼行の油絵に触れ、洋画に関心をもった。
曾山幸彦の塾に入門し研鑚をつんだあと、フランス帰りの黒田清輝と久米桂一郎が指導する天真道場に入門する。
1896年(明治29)白馬会の創立に参加するとともに、東京美術学校に新設された西洋画科の助教授に就任し、翌年には西洋画研究の第1回文部省留学生として渡仏、黒田の師ラファエル・コランに学び、帰国後は東京美術学校で多くの後進を育成した。
岡田の作風の特徴は、何よりもその優美で典雅な女性像にあるが、それはコランのもとで培われたといってもよいであろう。
彼はコランの代表作《花月(フロレアル)》にみられるような、繊細な筆致と上品な色調を徐々に自己の画風として定着させていった。
《紫の調(某婦人の肖像)》(1907年)、《萩》(1908年)などに見られる、女性特有のきめ細かくやわらかな肌合いの表現と、洗練された装飾性を見事に結実させたのが、この《あやめの衣》である。
池水に見立てた明るい藍地に白く浮き上がるあやめの模様、それと帯状に配された朱紅色が美しく調和する衣が、本作品の主役である。
その衣をまとった後ろ姿の女性は、櫨染調(黄金色)の背景のうえに、油絵具で描かれている。
日本の伝統的な美意識と手法が油彩画に導入されており、岡田のあくことのない研究の成果をうかがい知ることができる。
人となり
岡田三郎助(1869-1939)は、現在の佐賀県佐賀市生まれ。
父は明治維新まで、佐賀藩主につかえる藩士でした。
彼は幼少のころ、父とともに上京、旧藩主の邸内で暮らします。
彼はその時に、同じ佐賀県出身の外交官で洋画家でもある百武兼行の油絵を見る機会にめぐまれました。
百武の作品に影響をうけた彼は、画家をこころざすようになります。
画塾で学んだのちの1894(明治27)年、同郷の画家・久米桂一郎が、岡田を黒田清輝に紹介します。
黒田は前年、外光派(注1)の技法を身につけてフランスから帰国したばかり。
それまで伝統的な絵画技法しか知らなかった岡田にとって、黒田たちとの出会いは大きな転機となりました。
1896(明治29)年、岡田は黒田、久米、藤島武二らとともに、白馬会を創立。
翌年、岡田は文部留学生としてフランス留学に出発します。
黒田も学んだラファエル・コランの画塾にはいり、勉強をかさねました。
1902(明治35)年の帰国後は、藤島とともに東京美術学校の教授として、若い画家たちを指導。
岡田、藤島の教えは、その後、日本洋画のアカデミズムの主流を形成して行くのに大きな役割を果たしたのです。
岡田の代表作として、つづみを持った日本髪の女性を描いた「婦人像」(1907年、ブリヂストン美術館)がよく知られています。
婦人像
*
本年はこれで終わりとなります。
独りよがりな感想におつきあいいただき、ありがとうございました。
来年もまたおつきあい願えれば幸いです。
今年は創作から離れることが多い年でしたが、来年は戻ろうかと思います。
どちらさまも、良いお年をお迎えください。
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