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敏洋’s 昭和の恋物語り

信州・箱根での美術館巡り 第二章 ポーラ美術館 〜モダン・ビューティ〜 四)中世のファッション・前編 

2016年12月06日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



今回の目玉的な、展示です。
中世における女性たちのファッションに触れたくて計画した今回の旅です。
構想中の[マリー・アントワネットに恋した男]がフランスを舞台にした作品であることから、少しでもその雰囲気に浸りたいと考えたわけです。さてさて思惑通りに、中世おフランスに飛び込むことができますやら…。

中世のファッションといえば、まっ先に浮かぶのがスカートですわ。
あのふんわりとした、なんでも竹かごのようなもので膨らませていると聞きました。


クリノリン=風船型で、全体を丸く膨らませる。


バッスル =後部を膨らませて、ウエストを細くヒップラインを美しく見せる。

ではいつものようにお勉強を。

クリノリンとは、19世紀後半より用いられる下着の一種である。
当初は馬の毛を織り込んだ麻の繊維でできた円錐状のスカート下であったが、
より形をはっきりさせるため、鯨のひげあるいは針金を用いたものとなった。

この下着はスカートをふわりと膨らませるために用いられていたペチコートの代替として用いられるようになった。
この下着を用いることにより、ペチコートにおいては数枚から十数枚を重ね履きしなければならないところ、この下着であるならばひとつですみ、当時の女性の軽量化に貢献したとされる。

また、この下着の発達によりスカートすそを広がらせることが流行(これまではすそを広げようとするとペチコートの重ね履きにより機動性が失われる)したため、一種独特なスタイルとなっている。
クリノリンが巨大化した理由の一つが1856年、皇太子(ナポレオン4世)を身ごもっていたフランスのウジェニー皇后である。彼女は姿態の不恰好を隠すためにクリノリンを極端に拡大して使っていた。
それが新しいモードとしてサロンに受け入れられ、1850年代末には、クリノリンの大きさは最大値に達した。
この巨大化は1860年代まで続いた。
しかし動くたびにクリノリンが引っかかって転倒したり、暖炉などの火がスカートに引火して火傷をしたりという事故が多発することになった。
一説に年間3,000人の人間がクリノリンによる事故で死亡し、20,000人の人間が事故にあったといわれる。

バッスル(バスルとも)は、女性用ファウンデーションの一種である。
19世紀半ばから20世紀初めに流行した。ヒップラインを美しく見せるための腰当である。
提灯を縦半分に切ったような形をしている。
材質は、初めの頃は鯨の骨を使用していたが、後には針金や木が用いられた。
服飾史上,バッスルが一つの様式として確立されるのは,1860年代のクリノリンの衰退の後,70年から76年にかけてと,80年から87年にかけての時期であった。
日本では明治時代に鹿鳴館などで着用されたドレスにこれが用いられていた。

―――――――― ピクシブ百科事典と Wikipedia より

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