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8月25日 自然愛好友の会オフ 丹沢 栗ノ木洞・櫟山(1/3) 

2016年11月26日 ナビトモブログ記事
テーマ:自然探訪

 最初は8月18日を予定していたが台風7号の接近で25日に延期にした。台風は実際には16日中に通り過ぎていたが、18日は前線通過で雨があったので、結果的には良かった。25日の予報は、曇り後、昼頃から晴れだった。

 今回の参加者は、ヒロピイさんとれんげしょうまさんの女性2名と自分だったが、友の会メンバー外のmariji3さんが先行して塔ノ岳から鍋割山に登った後、合流するかも知れないと連絡を受けていた。

 集合は小田急渋沢駅に9時30分としていた。朝は曇り、電車から見た丹沢の山々は山頂部が雲に覆われていた。渋沢駅9:40発の大倉行きバスに乗車。木曜日のためか、登山者はあまり多くは無かった。

 9時55分に終点の大倉バス停に到着。身支度を整え、10時過ぎに出発した。先ずは大倉の集落の中を抜けて四十八瀬川沿いの西山林道へ向かう。大倉の集落は緩やかな斜面の畑地の中に家々が点在している感じだ。民家の庭先のフェンスにウキツリボク(チロリアンランプ)の花が咲いていたのを撮ったり、ラッカセイ(ピーナッツ)の畑で黄色い花を見て撮ったり道草しながら歩を進める。空は切れ間に青空も見えるが、雲の占める割合が多い状態で日射はなかった。この時期の里の歩きでは、照られるより有り難い。何度か指導標を見ながら直角に折れ、歩き始めて15分程で車道から歩道に入る。西山林道に出るには小さい沢沿いに歩いて沢を渡りV字状に折り返す。杉の植林の中でやや薄暗くジメッとした感じの道だ。蛭がいないかと気になるような道だったが、10時28分西山林道に抜けた。

 西山林道を終点まで歩くことになるが、当分は杉や檜の植林の中の風景の変化に乏しい道だ。この季節は、草花もほとんど無い。カメラのメモリーが一杯になってしまったので、古い写真を消しながら歩いた。一括で消去すれば早いのだが、メモリーの予備は持っていなかったので、今日撮った写真を残すため仕方なしだった。林道は車止めがあり、一般の車両が入ってくることはない。時折、登山者とすれ違うだけだ。11時20分、黒竜の滝が下流にある四十八瀬川の支流の一ノ沢を通過する。林道は緩い上りを保ったまま沢に入り込んで折り返す。一ノ沢との出会い部分は橋はなく、流れが道路を横切っていた。先週は台風の通過もあったので少々水量はあったが、渡るのが困難な程ではなかった。沢を過ぎて130mほど行ったところに黒竜の滝に下る歩道の分岐がある。歩道は滝を通り過ぎると四十八瀬川を渡って対岸の表丹沢県民の森に通じている。一ノ沢から13分ほど、林道から鍋割山が望める場所があった。引き続き曇り空だったが、明るさは増してきていたが、まだ山頂付近は雲がかかっていた。谷を埋め尽くしている様々な樹木の、色や樹幹のパッチワークが面白い。

 11時37分、歩いてきた西山林道の四十八瀬川を挟んだ対岸にある三廻部林道から分岐してきた水無堀山林道との合流点に到着した。林道はX字状に交わっていて、行き止まりだが大倉尾根方向に上る林道もある。この少し手前の道端に、ムクゲの木があり白い八重の花を付けていた。何でこんな山奥の人家もない場所にムクゲがあるのだろう? 林道出会いから5分、道脇に「山の恩人、尾関広氏之像」の銘板がある背広姿の胸像があり、脇にはベンチも設置されている前を通過した。尾関氏は日本山岳協会の設立に加わり、その後には全日本山岳連盟会長を努めた人物だそうだ。こんな山奥にと思うが、近くには昭和41年(1966年)にオープンし、平成9年(1997年)に建物の老朽化により移転した丹沢登山訓練所があり、その設立に尽力したためらしい。
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写真は「西山林道から見た鍋割山」と「尾関広氏胸像」



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