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敏洋’s 昭和の恋物語り

豊田市美術館 デトロイト美術館展 (おまけ)ピカソ 作風と語録 

2016年10月30日 外部ブログ記事
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先日、豊田市美術館で開催中だった、デトロイト美術館展に行ってきました。

青の時代
青の時代(1901年〜1904年)
当時(20才頃)の鬱屈した心象を、無機顔料のプロシア青の暗青色を基調に使い、娼婦、乞食、盲人など不幸な人々を主に題材にした一連の陰鬱な作品群に表現した。以後「青の時代」は、孤独で不安な青春時代を表す表現として使われるようになった。

パイプを持つ少年
ばら色の時代(1904年〜1907年)
フェルナンド・オリヴィエという恋人を得て、明るい色調でサーカスの芸人、家族、兄弟、少女、少年などを描いた。

アビニヨンの娘たち
アフリカ彫刻の時代(1907年〜1908年)
アフリカ彫刻の影響を強く受けた時代。
このとき、キュビズムの端緒となる『アビニヨンの娘たち』が生まれた。

三人の音楽家
セザンヌ的キュビズムの時代(1909年)
スペインのオルタ・デ・エブロに旅し、セザンヌ的な風景画を描いた。

分析的キュビズムの時代(1909年〜1912年)
モチーフを徹底的に分解する、禁欲的で抽象的な作風になった。

総合的キュビズムの時代(1912年〜1918年)
装飾性と色彩の豊かさが特徴で、ロココ的キュビズムとも呼ばれる。
このころ、新聞紙や壁紙をキャンバスに直接貼り付けるコラージュ技法を発明したが、これはマルセル・デュシャンのレディ・メイドの先駆である。

新古典主義の時代(1918年〜1925年)
古典的で量感のある母子像を描いた。

シュルレアリスム(超現実主義)の時代(1925年〜1936年)
化け物のようなイメージが描かれた時期で、妻オルガとの不和が反映していると言われる。
代表作は『ダンス』『磔刑』など。

ゲルニカ
ゲルニカの時代(1937年)
コンドル軍団のゲルニカ爆撃を非難した大作『ゲルニカ』および、そのための習作(『泣く女』など)を描いた。

晩年の時代(1968年〜1973年)
油彩・水彩・クレヨンなど多様な画材でカラフルかつ激しい絵を描いた。
このころ、自画像も多く手がけている。


語録
「明日描く絵が一番すばらしい」
「ミュージアムをひとつくれ。埋めてやる」
「絵画は、部屋を飾るためにつくられるのではない。画家(私)は古いもの、芸術を駄目にするものに対して絶えず闘争している」
「労働者が仕事をするように、芸術家も仕事をするべきだ」
「誰でも子供のときは芸術家であるが、問題は大人になっても芸術家でいられるかどうかである」
「昔、母は私にこう言った。お前が軍人になれば、将軍となるでしょう。修道士になれば、法王となるでしょう。そして私は画家となり、ピカソとなった」
「ようやく子どものような絵が描けるようになった。ここまで来るのにずいぶん時間がかかったものだ」
「私は対象を見えるようにではなく、私が見たままに描くのだ」
「スペイン内戦は、スペイン人民と自由に対して、反動勢力が仕掛けた戦争である。私の芸術家としての生涯は反動勢力に対する絶え間なき闘争以外の何物でもなかった。私が反動勢力すなわち死に対して賛成できるなどと誰が考えることができようか。私は「ゲルニカ」と名付ける現在制作中の作品において、スペインを苦痛と死の中に沈めてしまったファシズムに対する嫌悪をはっきりと表明する。」(「ゲルニカ」制作時の声明より)

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