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敏洋’s 昭和の恋物語り

豊田市美術館 デトロイト美術館展 (九)マティス作 窓 

2016年10月27日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



先日、豊田市美術館で開催中だった、デトロイト美術館展に行ってきました。


マティス作 窓

うーん…。
どう言えばいいのでしょうか。
きっちりと描かれた作品で、色彩豊かで、それでいて幼稚な(失礼)…。
青が全体の1/4ほどを占めているでしょうか。
寒色系の中に、中央にでんと描かれたテーブルは、橙色の暖色ですよね。
ちょっと、ほっとする感じです。

右半分の椅子やらカーペット、そして窓はきっちりと描かれているのに、左側の壁はいい加減ですよね。
ゴミ箱なんかね輪郭線ですよ。
椅子もそうですよね。
何か、意図があるのでしょうか。

あゝ、中央が白いです。
光が入ってきていることを表現しているのでしょうか。
待てよ、「窓」だよな。
窓に注目すべきなのか? 
でも、何の変哲もない窓だしなあ…。


参考絵画


アンリ・マティス ――Wikipedia より

フォーヴィスム(野獣派)のリーダ−的存在であり、野獣派の活動が短期間で終わった後も20世紀を代表する芸術家の一人として活動を続けた。
自然をこよなく愛し「色彩の魔術師」と謳われ、緑あふれる世界を描き続けた画家であった。
彫刻および版画も手がけている。

初期の作風は写実的なものを志していたが、次第にフィンセント・ファン・ゴッホ 、ポール・ゴーギャンら後期印象派の影響を受け、自由な色彩による絵画表現を追究するようになる。
『緑のすじのあるマティス夫人の肖像』(1905年)、『ダンスI』(1909年)など、大胆な色彩を特徴とする作品を次々と発表し、モーリス・ド・ヴラマンク、アンドレ・ドランらと共に野獣派と呼ばれるようになる。

しかし、フォーヴィスムとしての活動は1905年から3年ほどの間だけで、それ以降は比較的静かで心地の良い作品を描くようになる。
(そのころのマティスの言葉:『私は人々を癒す肘掛け椅子のような絵を描きたい』)本人は、フォーヴィスムと呼ばれ見なされることをひどく嫌った。

体調の変化で作品にも変化が現れ、自然から受ける感覚、感触をダイレクトに現すようなことができるようになっていった。
形を見るというより、花や植物から感じる安らぎを心の目で見ると、はさみを使うという身体的な動きを通して機能化して表現、生命そのものの記号になるように求めていったのである。

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