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中村紘子さん 

2016年08月01日 ナビトモブログ記事
テーマ:音楽

ショックを受けている。

若い頃から、ず〜っと第一線を歩いてきたピアニストだから、私の中のどこかで、それがいつまでも続く、と思っていたのだろう。


初めて中村さんを聴いたのは、彼女がショパンコンクールに参加する前年、イイノホールで行われた、派遣コンクールだった。

既に、翌年開催されるショパンコンクールを見据えて、ワルシャワに留学中だった中村さんが、日本代表の資格を得るために一時帰国して、派遣コンクールに参加したのだ。

そのときの、もう一人の応募者が、同じ門下の先輩、遠藤郁子さんだったので、私もその公開コンクールを聴きに行ったのだった。

ショパンの作品ばかりが、二人で順番に演奏された。



まず、遠藤さんがソナタの二番「葬送」と、前奏曲を数曲。他にも何か弾いたかもしれない。

それは、素晴らしい、葬送ソナタだった。


当時、遠藤さんが二年に在学中だった大学では、三年になるまで学外演奏を許可していなかった。

その為、彼女は大学を退学して、コンクールに参加していたので、ちょっと話題になっていたのだった。

背水の陣、といった鬼気迫る演奏だった。

代表として選出されて当然、という演奏だった。


次に、演奏したのが当時20才くらいだった中村さんだった。


素晴らしい美貌に、際だったセンスのドレス。

黒のベルベットの上半身に、ぱーっと広がったクリーム色のギャザースカート。


二人とも、昼間のステージらしく、イブニングのロングドレスではない、清楚ないでたちで、それが一層二人の若さを引き立てていた。

50年ぶりに、思い出した二人の舞台姿だが・・。


だが、日本代表となる為に、ポーランドから一時帰国して臨んだコンクールなだけに、大きな責任と共に弾き始めた中村さんの演奏。

それは、初めて聴いた高校生だった私にも、万全ではないだろうことが伝わってきた。


演奏が終わった後、発表待ちでロビーに行くと、中村さんとお母様と、そして和服姿のお祖母様らしい三人の女性が、所在なげに座っていらした。


その、三世代の美貌は、ちょっと忘れられない。

中村さんのあの、華やかな美しさは、一朝一夕に到達できる領域ではないのだ、といったオーラの様なものが、その一幅の絵の様に繰り広げられていたその場に、広がっていた。

因みに、審査は翌朝にまで持ち越されて、例外的にその年は、二人共選出された。

当然、中村さんのそれまでの実績が、考慮されたのであろう結果であった。



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素敵なご夫妻でしたね

シシーマニアさん

そうでしたか・・。

と言うことは、ミル姫達が庄司氏宅へ、インタビューに訪れた、ということでしょうか・・。
高校生を描いて、芥川賞ですものね。

年賀状のやりとりまで・・。さすが、紳士ですね。

中村さんは、ピアノのコンサートによくでかけるらしく、ホロヴィッツのコンサートにも、ご夫婦でいらしてました。
旦那様が「プログラム買う?」と奥様に聞いているのが後ろから聞こて、「どなたかな」と振り返ってみると、庄司・中村夫妻でした。
「そうね、一部だけ買ってきて」という奥様の返事を聞いて、作家先生はプログラム売り場へ。(多分)

私は晩婚な上に、二人の子供も晩婚で、孫もいません。効率の悪い、親子循環です。

ミル家は、世代の回転速度がマッハ並み(?)素晴らしいですね。
高校生のお孫さん、ですか・・。

ミル・ババ(?)が、庄司氏宅を襲った(笑い)のと同年齢?
お孫さんがこれから、どんな勇姿を見せてくれるか、楽しみですね

2016/08/02 14:13:10

また、お邪魔です

ミルフィーユさん

シシーさん、又お邪魔します。

庄司薫氏が芥川賞を取ったのは、1969年。
私が高1の時でした。
それから、翌年庄司氏のマンションでお会いしたと勘違いしましたが、翌々年の高3の時でした。
文化祭のテーマに庄司氏を取り上げ、それでお会いして下さったのです。
その時、独身だった庄司氏は36歳。
15人の女子高生に、それは優しく気配りして下さり、大人の紳士でした。
今生きておられれば、81歳でしょうか。
中村紘子さんが、その頃、28歳。
美しさの真っただ中でしたでしょう。

私は世紀の大失恋の直後、フラッと結婚してしまいましたので、早い子持ち、早い孫持ちでした。
70年代前後の、あの頃の空気感を思い出し、しばし夢のような時間に浸っていました。
頂いた二通の年賀状が押し入れの奥から出てきたら、いつかブログに書ければと思います。

中村紘子さんを実際にお見かけしたシシーさんと、そのご主人の庄司氏にお会いした私が、長い年月を経て、ここでこうして無理矢理ですが(笑)古い思い出を語れる(私がです)、、、凄い出会いですね。

有難うございました。

2016/08/02 12:01:35

揺るがないお人柄。(喜美さんの事ですが・・)

シシーマニアさん

喜美さん、コメントありがとうございます。


大賀典雄さんは、ピアニストの奥様がウィーンでの同門(大先輩)だったので、先生からよくお話を聞いていました。

喜美さんは若い時代を、後々一線を担っていく人達にたくさん出会われて、成長してらしたのですね。

その、揺るぐ事がなさそうなお人柄は、そういった経験で培われてきたものなのかなぁ・・。

2016/08/02 11:22:52

濃い人生だったでしょうね

シシーマニアさん

彩さん今日は。

日本の、クラシック音楽界の黎明期を、代表するにふさわしい人でしたね。

中村さんが、活動の拠点を日本に置いた、と言うのが大きいのでしょうね。
庄司薫さんや、沢山のブレーンが周りにいたでしょうけれど、あの当時にその決断をなさったのは素晴らしいと思います。

誰もが、欧米を追いかけている時代でしたから・・。

2016/08/02 11:15:46

一つの時代が、確実に終わりましたよね

シシーマニアさん

Reiさん、今日は。

中村さんには、沢山エピソードがありますよね。
私は、お話の表現力が凄いなあ、と思いました。

天は、彼女に一体、いくつの才能を与えたのでしょうね。

2016/08/02 11:09:43

時代が、一巡したのか、二巡したのか、解らない!

シシーマニアさん

ミル姫、今日は。

庄司薫氏が、芥川賞を取られた翌年、ミル姫はまだ高校生だったのですか・・?

「赤ずきんちゃん、気をつけて」は、主人公の庄司薫君が、大学紛争で東大入試がなかった年に、高校三年生だったのですよね。
当時大学三年だった私達の間でも、大変な話題になったし、しかもそれを殆どリアルタイム的に書いた小説、と言うのでかなりよく記憶しています。

その小説の中に、中村紘子さんの名前が出てきましたね。

そんなにお若いミル姫に、なんと今は、高校三年生のお孫さんがいるとは。

2016/08/02 11:06:14

テレビで

喜美さん

私は勿論お会いしたのはテレビのみ
美しい方でした 段々昭和の人が減るみたい淋しいです

話違いますけれど大賀典雄さんご存じ? 中学の時コーラス教えに女学校に来ました あのころは男性と女性は別の学校でしたけれど 放課後コーラス部員集めて良くならいました 後半ソニーの社長に認められソニーに移ったりしました

2016/08/02 07:43:01

時代の変わり目なのでしょうか…

彩々さん

このところ、立て続けに才能を持った方が
亡くなります。

私たち世代、その方たちのそれぞれの若く才能あふれる
感性をリアルタイムで拝見、拝聴出来たことはラッキー
でした。

昭和の時代が終わった事を淋しく想いながら、受けた感銘を
忘れることなく、歳を取りながら心に残していくのでしょうね。

2016/08/02 06:41:04

残念です

Reiさん

何年か前に、千葉でのコンサートを聴きに行きました。
迫力ある演奏でした。
色々楽しい解説を交えながらのムソルグスキーの「展覧会の絵」の演奏が印象的でした。

その日は機嫌がよかったようで、アンコールを何曲も聴くことができました。
もっともっと演奏が聴きたかったです。

2016/08/01 22:47:22

中村紘子さん

ミルフィーユさん

こんばんは。
まだ、お若い年齢で逝かれてしまいましたね。

旦那様の庄司薫氏が、芥川賞を取った翌年、彼のマンションへ招かれ、15人の女子高校生が、その文学論をお聞きするという、今では考えられない様な光栄に恵まれました。
そのころ独身だった庄司氏は、すでに中村紘子さんと出会っていたようでした。
その後のエッセイ、「僕が猫語を話せるわけ」にその出会いが書かれていたような。。。

中村紘子さんというと、そのことをセットで思い出します。。。
実物は、さぞお美しい方だったのでしょうね。

緊迫の公開コンクールの様子、楽しく読ませていただきました。

2016/08/01 22:09:28

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