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5月22日 自然愛好友の会オフ 菊花山〜御前山(4/4)   

2016年07月18日 ナビトモブログ記事
テーマ:自然探訪

[猿橋駅から、日本三大奇橋「猿橋]を往復]
 残った3人は、猿橋へ向けて歩く。駅の南側の住宅地の外れから振り向くと、御前山が見上げる角度で見られた。「1時間半前にはあの上に居たのだな…」と思う。猿橋駅南口の交差点から約900m、住宅地が途切れて中央線の線路脇を少し上った後、下りに転じてまた住宅地に入り県道509号線に出る。左折して中央線の橋の下を抜けた後、県道を離れ国道20号線と並行した住宅地の中の道に向かう。その道は多分、中央線の1968年(昭和43年)まで使われていた旧線路跡だったのではないかと思われる。途中、住宅の間の空き地に花畑があり、雛芥子やチェリーセージ、ルピナス、マーガレットなど色とりどりの花が咲いていて綺麗だった。3時53分、道は国道20号線に合流する。国道を横断すると100mほどで猿橋の駐車場だった。
 同行の二人はトイレを使いに行き、戻ってからは今度はアイスクリームを買いに行った。その間、自販機で缶飲料を買って飲み、ベンチに座って持つ。そして、猿橋の見学に掛かった。駐車場は満車に近く、東洋の外国人団体も訪れていた。橋の袂には朱塗りの鳥居に山王宮の扁額が掛かった小さな神社があった。猿橋は長さ31m、幅3.3m、桂川はこの付近は峡谷で、水面からの高さは31mもある。橋の上は中央が高くなった緩やかな太鼓橋の木橋で、峡谷を跨いでいることを除けば、特に珍らしさを感じるではない。橋の欄干の片側には、8個の行灯が結わえられていた。猿橋が奇橋と言われる由縁は、その架橋方法にある。峡谷の崖に見学路が付けられているので、それを下る。橋の構造は刎橋(はねばし)と呼ばれるそうだ。その手法は、「岸の岩盤に穴を開けて刎ね木を斜めに差込み、中空に突き出させる。その上に同様の刎ね木を突き出し、下の刎ね木に支えさせる。支えを受けた分、上の刎ね木は下のものより少しだけ長く出す。これを何本も重ねて、中空に向けて遠く刎ねだしていく。これを足場に上部構造を組み上げ、板を敷いて橋にする。」というものとのこと。猿橋では、刎ね木の腐食を防ぐため、それぞれの刎ね木には、屋根が付けられている。橋の起源は7世紀に遡るという説があるようだが、現在の猿橋は1984年(昭和59年)に架け替えられたもので、H形鋼に木の板を取り付け、岸の基盤をコンクリートで固めたものだそうだ。鋼材の周囲を完全に木の板で覆っているため、外観は木橋にしか見えない。
 橋の構造が見られる小広場からは、桂川の河岸段丘の下部の斜面を巻いて猿橋公園に行く遊歩道がある。その道に入って少し進むと、更に峡谷の下部から猿橋が見られる展望所に下る階段があった。そこに行ってみることにした。川幅を狭めた桂川は深緑色の淵となり流れをあまり感じない。しかし対岸を見ると土の無い白い岩肌が水面から3mほども露出している。大水の時はぐんと水位が上がるのだろう。展望所からの猿橋は仰角が45度ほどもある感じだった。川面からの高さ31mというと、事務所ビルでも10階建てほどにもなる勘定だ。歩道脇の岩壁にはマメヅタが這っていて、シダ植物の証拠である胞子葉を出していた。マメヅタを意識して見たのは4回目位だが、始めて胞子嚢群の付けて立ち上がった胞子葉を見ることができた。また近くではそうそう見掛けないネズミノオゴケも写真に撮ることができた。
 この後、遊歩道までは戻らず、峡谷の入口部分の岩の上へ出る階段があったので、ゴツゴツした岩を下りて河原に出た。河原では、カヌーを並べたテントが店終いを始めていた。河原から猿橋公園に上がる途中で、峡谷部の入口を望遠撮影した。上部には峡谷を跨ぐ県道505号線の新猿橋が写り、夕方のやや赤味のある光を浴びた森と岩肌、綺麗な写真になった。猿橋公園はまっすぐ通り抜けて、河岸段丘の坂を上って猿橋の市街地へ、住宅地の中の道から、国道20号線に出て250mほど歩道を歩き、そこかからは線路沿いの舗装路を400m歩いて猿橋駅の北口に着いた。時刻はちょうど5時だった。
 当初は、4月の実施計画で、計画日の天候が悪く1ヶ月以上もずれての実施だったが、「展望の良い山」の期待を満足させるオフ会にできたのは、何よりだった。今日の歩きの最高地点は沢井沢の頭の肩の縦走路との出会いで、標高は725m。高い山ではないが、変化に富んでちょっぴりスリリングなところもある楽しめる歩きだった。
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写真は、「猿橋」と「猿橋の峡谷部に流れる桂川」



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