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独りディナー
ホストファミリー
2016年07月09日
テーマ:アメリカ
ホストファミリーという言葉の定義は、よくわからないのだが・・。
私達がアメリカに住んでいた間、土地の人達が日常的に楽しんでいる世界へと、扉を開いて垣間見せてくれたのが、ホストファミリーだった。
我が家の場合は、住み始めて間もなく、インターナショナルセンターに、登録していた。
ある日、「私達が、あなたのホストファミリーになりました。一度、我が家へ夕食にいらっしゃいませんか?」という手紙が届いた。
その時の事は、強烈に印象に残っている。
一時的に住む外国人にとって、現地の家庭とつながりを持つきっかけは、結構少ないのだ。
外国人同士は、よくある。
しかし、普通に暮らす人達にとって、異邦人は、所詮異邦人である。
ホストファミリーというのは、そんな外国人に手をさしのべてくれるシステムかもしれない。
それは、住み始めた翌年の、2月のことだった。
伺ったのは、私達より少し年上の夫婦と、三人の坊や達の家族。
その名も、マーク、マイク、ジョン。
敬虔な、クリスチャンであった。
聖書で聞き覚えのある、聖者達の名前が、英語になると、かくも親しみやすい響きになるのか・・。
マークは 「マルコによる福音書」のマルコだと思う。
マイクは、大天使聖ミヒャエルだろう。
ジョンは、ヨハネだ。
オパルスキーさんのお宅は、そのときはまだ大きな家に引っ越す前で、アメリカにしてはこじんまりとしたお部屋で、ディナーをご馳走になった。
ちょうど、3月にリサイタルが決まっていたので、招待状を持って行った。
いっぱいいっぱいな私は、気づかなかったけれど、主人の話では、
「招待状を渡したときは、ちょっと意外そうだったよ。
向こうとしては、これから色々と世話してあげよう、と親切心で迎えてくれたのに、ちょっと期待外れな様子だった」
でも、出会いは意外だったのかもしれないけれど、其処はボランティア精神みなぎるアメリカ人である。
彼らとは、今に至っても交流が続いている、親しい家族になった。
狭いコミュニティ内のことだから、ホストファミリー同士も親しいらしく、それからは彼らのホスピタリティみなぎるパーティによく招かれた。
ある日、オパルスキーさんから「ジャパニーズ・パーティを開くから、参加しませんか?」と電話がかかってきた。
オパルスキー家と親しい、クラーク家でピクニックを開催するらしい。
それまで、私は、ハイキングとピクニックの区別すらも知らず、クラークさんの家まで歩いて行くのかしら、などと頓珍漢な事を考えているうちに、又電話があって、
「もし、着物を持って居たら、着ていらっしゃい!」と、お誘いがあった。
結局、やはり招待されていた、同じアパートに住む日本人の奥様に着付けて戴いて、会場のクラーク家に着くと、どこから調達したのか、2〜3枚の和服が用意されていて、その奥様は大童で婦人達の着付けを助けている。
それは、個人のお宅でのパーティとしては、かなりの人数の集まりだったが、有り難い事に、私は「あぁ、この前リサイタルをした人ね」とすぐ皆に、覚えて貰えた。
クラークさんのお宅は、昔テレビドラマで見た様な、典型的なアメリカのお家という印象で、庭にはプールがあり、広いリビングには、グランドピアノが置いてあった。
誰かのリクエストだったのだろう。
着物姿の私が、ピアノを弾いている写真がアルバムに残っている。
続く
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