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人生いろは坂

危機の予感 

2016年07月02日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



 あまりいやなことは書きたくないのだが、こうも次々と色んなことが連続で起きるようになると
目は、ついついそちらの方へ向いてしまいがちである。

 私たちの子どもの頃は、きちんと四季があって、四季に従って分かる形での気温の変化があり、
人々の生活も、それに従って季節毎に移り変わっていった。

 終戦後の貧しい時代であったが、何不自由さを感ずることもなく、ましてや心配事など何も
なかった。子どもだったからそうだったのか、それとも時代そのものが、そうだったのかは、
今となっては定かではない。

 ただ、たんたんと時間だけが流れて行き、その時間の流れに従って、規則正しく変化もなく
日々が過ぎて行ったように記憶している。

 夕方、河原の土手に寝転んでいると、空は次第に暗くなり、暗くなるに連れて、空に星の数が
増えていく。周辺に夜空を明るくするような明かりもない時代の事だから澄み切った空には
ごく当たり前のように白く輝く天の川が横たわっていた。

 夏のことなら、遠くに見える山の方では盛んに稲妻が光っていた。どうやら山深いところでは、
夕立のようなものが、毎日のように起きているらしい。音も聞こえないほど遠くの光だった。

 一番星、二番星、そして時々、流れ星が夜空を横切っていく。蛍の頃になると、川の周辺は
蛍が乱舞し始める。それはそれは美しく穏やかな眺めだった。そして、長く、いつまでも繰り返し
繰り返し、同じような年月や季節を過ごしてきた。

 冬になると、冬には冬の行事があった。大晦日の近いある日のこと、冬至の日には、お月様の祭り
だと言って、城山の麓では炊き出しが行われていた。大きなおにぎりと、温かい味噌汁が、大人も
子どもも分け隔てなく配られた。その味と温かさは、忘れられない大切な思い出となっている。

 そんな、ごく当たり前の幸せが、次第に遠くなり始めたのは、いつの頃からだったろうか。そう、
それは私たちの生活が自然から次第に遠くなり、金儲けや目先の利益だけに目が向き始めてからの
事だった。一見、華やかで豊かに見える生活と引き替えに得たものがお金であった。便利さで
あった。快適さであった。

 しかし、その豊かさや快適さに隠された背後には、お金では決して買うことの出来ない幸せが
あった。それを私たちは見落としていた。そして今は、急速にその幸せを失いつつある。人は
何かを得たとき何かを失うようになっているのだろうか。

 もはや私たちは、引き返すことの出来ない深みまで足を踏み入れてしまった感がある。その
代表的な事象が地球温暖化を初めとする環境問題であろう。今年も変わらず異常気象と思われる
ものが頻発している。そして、その上に火山噴火や地震なども多発している。

 地球は、自らの汚された体を拭う(ぬぐう)かのごとく、激しい雨が繰り返し私たちの生活を
襲っている。禊ぎ(みそぎ)だろうか、破壊された原発の上にも降り注ぐ。いったん放射能で
汚された大地は、容易に元には戻らない。

 今の世に生きる私たち人類は、かつて経験したことのないような時代に生きている。何故、人類は
いつの世も自らを窮地に追いやるようなことを繰り返すのだろうか。私たちのDNAの中には
穏やかに生きて行こうという思いや考えは組み込まれていないのだろうか。

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