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2016年07月02日 ナビトモブログ記事
テーマ:シニアライフ

「最高の人生の見つけ方」という映画があった。

余命幾ばくも無い二人の老人が、死ぬまでにやっておきたい事をリストアップして、それらを次々と実現していく。

原題は、「バケツ・リスト」

想像するに、棺桶に片足を突っ込んだ人が、人生の終盤でやり残した事をリストアップする、といったニュアンスだろうか・・。


私の中のリストには、シューマンの歌曲集「女の愛と生涯」を弾いてみたい、というのがあった。

歌曲だから、もちろん相手が居なければならない。

七ヶ月前に、あるパーティーで声楽家に出会い、長くウィーンに居たと言う事だったので、無理にお誘いしたのだった。

紹介して下さった人が、「こちらはオペラ歌手で・・」というと、「マイナーなオペラ歌手です」と、ご本人も自己紹介してらした。

たとえ、マイナーという冠(?)をつけたにせよ、堂々とオペラ歌手を自負している様子だった。

日本人で、オペラ歌手を名乗る人は、そうは居ないのではないかと思う。



歌曲は、当然ながらまず、言葉が生命である。

多分、その人はドイツ語には堪能なのだろうと思い、余り乗り気ではなさそうだったけれど、思い出したようにはメールを送り、何とか約束を取り付けたのだった。

私って、ちょっとストーカー、っぽいかもと自嘲しながら・・


そして昨日、とうとう初顔合わせの日がやってきた。

我が家のピアノ室では失礼だと思い、事前に友人がオーナーをしている、スタジオを予約した。

そこには、ウィーンの銘器と言われる、べーゼンドルファーのピアノがある。

友人がウィーンへ留学して、帰国するときに買い求めてきた楽器である。

つまり、その友人と私は、ウィーン留学時代のクラスメイトなのである。



さて、間違いの無いように、駅の改札口で待ち合わをした。

その人は、ラフな服装で現れて、

「最初の日だから、きちんとした格好で来ようかとも思ったのですが、どうもそういう服装だと歌いにくくて・・」という。

私がちょっとおしゃれしていたから、一種のエクスキューズだったのかもしれない。

「でも、それじゃ本番にドレスアップしたら、歌いにくい、って事になりませんか?」

「本番は、まず髪を造って、お化粧しているうちに、歌う気分になっていきますから・・」

その言葉からは、私はオペラ歌手だから、といったプライドが伝わってきた。


スタジオに着くと、いつもの様に友人が、冷たい飲み物を出してくれたので、まずはおしゃべりをした。

「私はよく、ドイツ歌曲の演奏を聴いた人に、他の人とは違う、と言われるんですよ」

「えっ?どんな風に違うんですか」大体想像が付きながら、聞き返す私も、人が悪い。


「ドイツ語がわかっている人の歌い方だ、って言われますね」


そして、ドイツ語が、ドイツ歌曲にとっていかに重要か、と彼女は滔々と、ある有名なウィーンのピアニストに可愛がられた経験を持ち出しながら、解説を始めた。


「そのピアニストは、ピアノ曲でも、自分で音楽に沿ったドイツ語をつけて、歌いながら弾いたりもするんです」


私はもう既に、帰りたくなっていた。

日本人が、西洋音楽を勉強するという、ある種の矛盾に向き合いながら、今日まで生きてきたのだ。

68歳にもなって、そんな議論は今更、うんざりだった。


「あの、色々お話を聞いていると、弾くのが段々嫌になってきそうなので、お話は弾いた後にしませんか」

「本当は、この曲はもっと低い声の人に向いているので、私が歌うとチャラい感じになってしまうかもしれませんが・・」と、言って彼女は立ち上がった。


オーナーの友人が、「譜めくりする?」と訊いてくれた。

私はその時点で、手が冷たくなっていて、なんだか本当に心細くなっていたから、

「じゃあ、横に居てもらおうかしら・・。あなたが横に居てくれたら、心強いから・・」と、まんざら冗談ではなく頼んだ。

「えっ?珍しいわね。」

私はまるで、そこの専属ピアニストかと思われるほど、何十回も弾いているので、友人もちょっと驚いている。


一曲目が終わったら「とっても歌いやすいです」と言われた。

どうやら、第一関門は通過したらしい。

数曲目で、ちょっと台詞が歌いにくそうで、私が、

「この曲は、早いから歌いにくいでしょう・・・」というと、

「暗譜してあれば、大丈夫なのですけれど」という。


段々私も、堪忍袋の緒が切れ始めて

「この曲は、歌いながら弾こうと思っても、どうしても口がついていかなくて・・」と、とうとうこちらの真剣さをぶちまけてしまった。



全八曲が終わったら、「日本の人は、この曲をとても暗く歌うんですよね」と、その人は言う。

「私は、日本人が歌うのは聞いたことがないのでわかりませんが・・」

「日本には、ルールがあるでしょ。ドイツ歌曲は暗く歌う、とか」

「えっ?日本の西洋音楽には、ルールがあるんですか?」と、又々私は、しらばっくれて聞き返す。


「この曲なんかは皆、終曲では男性が亡くなる、という印象で歌うから、テンポも遅いんですよ」そして、続けて言う。

「今、お弾きになったテンポだと、この軽やかさも明るさも出てきて、本当に歌いやすかったです。

久しぶりでした。音楽の解ってらっしゃる方のピアノは」

年下のオペラ歌手に、晴れて褒めて戴いたのだった・・。



場合によっては、演奏会を企画しようかとも考えていたが、もうそんな気持ちは消え失せていた。


「ああ、楽しかったわ。

どうもありがとうございました。一生に一度は、この曲を音出ししたいと思っていましたので、望みが叶いました」と言って、私はピアノの前から立ち上がった。


こうして私は、バケツリスト(?)から、一つの項目をを消したのであった。



でもこの七ヶ月間、ユーチューブで曲を聴き、それを録音して、家事の間にはイヤホンで聴いて、一つ一つの言葉を辞書で調べて、それを自分でゆっくり歌いながらピアノ伴奏したりなどなど、実に楽しい時間を過ごした。

この年齢で、思いもよらない経験だったといえるだろう。


これで心置きなく、「女の愛と生涯」からは、卒業できる。



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勘違いしないで、生きていきたいですね

シシーマニアさん

彩さん、今晩は。

私は割に引きずる方なので、あれから、彼女は何を言いたかったのか、ずっと考えています。

只、自慢したかっただけなのか。
それとも、68歳の私を、啓蒙したかったのか。

もしかしたら、「こんな自分を何故日本の社会は認めてくれないのか」といった類いの、怒りだったのかもしれません。
何か、声にできない怒りが伝わってきました。

私は、分相応という言葉が、比較的早くに認識できたおかげで、幸せな人生が送れたのかなあ、とつくづく思いました。

2016/07/03 19:29:12

何処にでもいるのですね

彩々さん

こんにちは、
今回、シシーさんが一つの課題を卒業されたことは
何はともあれ、ヨカッタです。

必要以上の謙遜は嫌味になりますが、謙虚さが抜け落ちた
ような人は、いますね。
Blog読ませていただきながら、そのオペラ歌手さんの
嫌味な態度にムカムカします。
こういう人、確かにいますが総称して「勘違い女(男)」
というのでしょうか(笑)。
立派なオペラ歌手でも結局、世間知らずという事
なんでしょうね。

最後でスッキリしましたが。

「最高の人生の見つけ方」、もちろん観ています。
歳を得た名優たちの演技も自然体で、それでいて
心に残してくれるものでした。

私も何か、一人の人のためにでも熱い思い出を
残せる人間になれるよう精進しますわ。
(もう遅いかなぁ…)

2016/07/03 15:15:16

気の晴れない一日でした

シシーマニアさん

喜美さん、コメントありがとうございます。

プライドを持つのは必要でしょうけれど、やはり客観的評価を待つべきだと思います。
気の小さい私には、プライドを持つこと自体は羨ましいと思えましたが、耳に心地よいものではありませんでした。

2016/07/03 13:20:31

いくら西洋思考の強い私でも・・。

シシーマニアさん

師匠、コメントありがとうございます。

私は、日本人を馬鹿にするような姿勢の人には、どうも反発してしまう傾向にあります。

これは、かつて文化人と言われる人達に共通した意見だった気もします。まるで、自分は日本人ではないかのように「欧米の人は、こんな事はしない」とか、「日本人って・・」と簡単に括りたがる人たち。

私の度量は極めて狭いので、そういった考え方の人とは、共に芸術を築き上げていこう、という気には到底なれませんでした。

2016/07/03 13:14:20

レマルク

シシーマニアさん

吾喰楽さん、コメントありがとうございました。

レマルクの「愛するときと死する時」は知りませんでした。映画にもなっている小説なのですね。
レマルク作品としては、「凱旋門」が若い頃の愛読書でしたが・・。

以前に、映画の話で「草原の輝き」を吾喰楽さんに教えて戴いて、早速アマゾンで購入しました。
早速見始めたのですが、ちょっと重そうな内容だったので、真面目なh私は途中まで見て、現在休憩中なのです。
元気の良い時に見てみます。

2016/07/03 13:03:40

何処にも

喜美さん

世の中 鼻高さんがいますね
其れも同じ仲間の前でこれは言いすぎです 避けた方が賢明ですね

2016/07/03 11:25:55

妙な形での卒業になりましたね

パトラッシュさん

共に演奏する者同士には、必ずしも互助や互譲の精神ばかりでなく、
時に競演となり、一方が主導を強め、遂には突出することも、
あるのではないか。
ということを、音楽に疎い私でも、例えば芝居などを例に、
想像はしておりました。

そこに、相手の人間性への、かすかにでも懐疑があったりすれば、余計にです。
不協和音とは、元々は音楽の用語ながら、今や一般的に、
対人関係における、かすかな不和を、象徴的に表すようになっています。

お二人の合奏は、もちろん協奏であり、協調であり、
美しく成立したのでしょうが、一旦楽譜を離れたところでは、
気まずさも底流していたようで……
これを不協和音と見たのは、前述のような次第です。

取りあえず、シシーマニアさんの念願するところが、一つ叶い、
これを大慶と致しましょう。

私は、音楽への無知を、一つ覚えのエクスキューズとし、
ふと見かけた音楽談義に、介入(乱入)しては、一人悦に入っております。
言ってみれば、長屋の八五郎のようなもの。
どうぞご笑殺のほどを。

2016/07/02 16:57:58

バケツ・リスト

吾喰楽さん

こんばんは。

明るいけど、早めの夕餉が終わりました。
これから、食後酒タイムです。

バケツ・リストで、高校生の頃読んだ、レマルクの小説『愛する時と死する時』を思い出しました。
愛する人のために、財産を無駄にする結末です。
私も、諭吉さん一人レベルの話ですが、同じ経験があります。

音楽に関係ないコメントですが、悪しからず。

2016/07/02 16:51:36

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