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2016年04月30日 外部ブログ記事
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 社会的エクスクルージョンについて


  先日「メビウスの輪」の集会で貝谷嘉洋さんが登壇されましたが、残念ながら講演時間に間に合わず、その場で販売されたご本人の著書「魚になれた日」と「介護漫才」の二冊を購入させて頂き、早速読ませていただきました。
貝谷さんは現在日本バリアフリー協会の代表理事でHPによれば略歴は以下の通りです。1970年生まれ。
1980年「筋ジストロフィー」と診断を受ける。
1984年

自立歩行不可能となる。以後進行し、現在日常生活のほぼすべてに要介護。
1993年関西学院大学商学部卒業後、単身で渡米し現地の介護者を雇用し自立生活開始。
1997年

野田聖子郵政大臣政策秘書を務める。
1999年 カリフォルニア大学バークレイ校ゴールドマン政策大学院修了。 同年 「魚になれた日−筋ジストロフィー青年のバークレイ留学記」講談社 著。 2000年 手先だけで運転できるジョイス ティック車を自身で運転しアメリカ一周。NHKのドキュメンタリー番組が放映。 同年 「日本バリアフリー政策研究 所」を設立(翌年、東京都からNPO法人として認可)。以後、現在まで代表理事を務める。 2001年ソロプチミスト日本財団「社会ボランティア賞」受賞。
同年

ジョイスティック車で我が国初の運転免許新規取得。
2003年 「ジョイスティック車で大陸を駆ける」日本評論社 著。 同年 第1回ゴールドコンサート(障がい者の音楽コンテスト)主催。同年 介護事業所「パーソナル・アシスタント・サービス東京」設立。2004年 上智大学文学研究科社会学専攻(社会福祉コース)博士後期課程修了。同 年 NHK厚生文化事業団障害福祉賞 専門委員就任。以後、現在まで毎年。2005年第2回ゴー ルドコンサート主催。同年 第3回読売福祉文化賞 大賞受賞。2006年 第3回ゴールドコンサート主催。以後、東京国際フォーラムにて毎年。2008年「NPO法人日本バリアフリー協会」設立。以後、現在まで代表理事を務める。2009年 「介護漫才―筋ジストロフィー青年と新人ヘルパーの7年間」小学館 著。2010年 東京大学大学院教育学研究科バリアフリー教育研究開発センター 
協力研究員就任。2012年 国士舘大学
非常勤講師就任。2013年 社会福祉法人 鉄道身障者福祉協会
評議員就任。
 「魚になれた日」筋ジストロフィー青年のバークレー留学記 講談社によれば重度障がい者のイメージを一新する日本の社会課題に挑戦するソーシャル・イノベーターで、読者を感動させると同時に、日本社会の社会的エクスクルージョンの問題を改めて考えさせられます。

 障がいをもって生まれた貝谷さんは、学校で仲間と同じ少年時代を過ごせない日々にも拘らず、施設での生活を選ばず一般の教育機関で勉強し、世界で一番障がい者に優しい大学・バークレー校で学んだ。想像を絶する困難の中で、明るく、前向きに学ぶ貝谷さんにどれほど多くの障碍がい者が勇気づけられたことだろう。

 それにつけても、日本社会は米国や北欧に比べ、障がい者が過ごしずらい社会なのだろうか。筋ジス患者だけでなく、多くの身体的、精神的病(やまい)に悩む人たちは、いわば社会ののけ者として、「別管理」される仕組みの中で社会から排除、排斥されている。社会的弱者が社会に向かって大声を上げることは簡単ではない。

 この本から介護、介助の違い、筋ジストロフィーの病気などにつき多くを学ぶことがあった。しかし、この本から貝谷さんが果敢に学び、生き、挑戦する姿に最も感動させられた。パラリンピックやスペシャルオリンピックに国民の目が向き、バリアフリーが当然のこととして受け入れられる社会が一日も早く到来することを望みたい。
頑張れ!!!貝谷嘉洋。

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