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パトラッシュが駆ける!

妙手がない 

2016年04月09日 ナビトモブログ記事
テーマ:テーマ無し

A男は、小学二年生。
私の囲碁の、生徒の一人である。
これが今年になり、一度もサロンに現れない。
もう一人、足の遠のいている女子が居る。
K子、四年生。
こちらは、年初に一回来たきりだ。

二人とも、囲碁への興味が、萎んでしまったのかもしれない。
「ぼく、もう止めたいと思います」
なんて言って来る子はいない。
黙って、いつの間にか消えてしまう。
これが通例だ。
子供ばかりではない。
大人だって「止めます」と言って、挨拶に来る者は居ない。
音もなく、気付いたら、影も形も見えなくなっている。

三か月は、一つの目安であろう。
再び現れる可能性は、かなり低いと思われる。

やめる者の気持も、わからないではない。
囲碁というゲームに問題がある。
(将棋も同じだが)
厄介な側面を持っている。
人と人が相対し、どちらかが必ず負ける。
この時が辛い。
自分を責め、無力感、喪失感、絶望感などに襲われる。
あそこで失敗さえしなければ……との後悔に苛まれる。

この際に、もし悔しさを感じないで、へらへら笑っているようなら、
それはそれで、また問題だ。
彼はこの先、上達が覚束ない。
負けて淡々としているようでは、いけない。
さりとて、敗局に打ちひしがれてもだめ。

その中間がいい。
悔しさを、闘志に変えられる、そのゾーンに、囲碁への適性がある。
そういう、一筋縄で行かない、ゲームなのである。

敗者が出るからとて、対局をさせないわけにも行かない。
囲碁は、机上の勉強ではない。
実戦を経験しないことには、強くなれない。
これは、スポーツと同じ。
試合を重ねないで、強くなれるスポーツなんて、ありはしない。

 * * *

去年から、幼稚園児が一人来ている。
女児である。
M子ちゃん。
これがやけに熱心で、その家においても、碁盤を出して、
家族と遊んでいるらしい。
習うより慣れろで、彼女は、石の競り合いなど、着実に上手くなった。

子供同士を対戦させる。
切磋琢磨し、互いに棋力が伸びればいいと、私は簡単に考えていた。
これがどうも、裏目に出たようだ。
思い当たるのは、これしかない。

去年の暮れに、A男とM子を対戦させた。
小学二年と幼稚園児である。
M子が勝った。
圧勝であった。
考えてみたら、これからであった。
A男が来なくなったのは。

K子もまた、M子と対戦させた。
この勝負もまた、M子が勝った。
勝ってしまった。
小学生は、知識でも体力でも、すべての面において、幼稚園児に優っている。
小学生らにも、その自信があっただろう。

しかしながら、囲碁はひたすら、盤上の石の闘いである。
戦いに慣れた方が勝つ。
年齢も性別も、関係ない。

それを、A男やK子がわかるだろうか。
幼稚園児に負ける。
それは小学生にとって、耐え難い屈辱であったかもしれない。

一方でM子は、自信を付けている。
先輩に勝つ。
それは気分のよいものだ。
ますます強くなろうとする。
これは一つの好循環であろう。

一人の才能が開花する陰に、周囲の何人かが脱落する。
適者生存なんてことを、ふと考えてしまう。
囲碁における「捨石」のようでもある。
より大事な方を活かすために、時に味方を見殺しにする。
見捨てる。
囲碁の戦術の一つでもある。

元より私に、人間を碁石扱いする、そんなつもりはない。
しかし、結果として、一人の優者の陰に、姿の見えなくなってしまった者がいる。

「ぼくのことなんか、せんせい、すぐに忘れるでしょ」
と思っているかもしれないが、そんなものではない。
ほんの数回でも、手塩にかけた生徒だ。
忘れるわけはない。
彼らを、囲碁の道に、戻らせるためには、どうすべきか。
それを考えている。
頻りに考えている。
しかし妙手がない。



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人生一生修行、その通りです

パトラッシュさん

ゼロ学の先生であられると共に、陶芸の生徒である彩々さん、
さすがに、両者の関係には、通じておられますね。
その機微にまで。

そうです。
辞めないで下さい、陶芸を。
先生だって、見込みがあるからこそ、叱咤するのです。
(こりゃ駄目だ……と思ったら、言いませんよ)

私の生徒(元生徒)
戻ってくれると良いのですがね……
すぐには無理でも、人生の何処かで、囲碁を思い出し、
「またやってみようかな」と思ってくれたら、私としては、本望です。

2016/04/10 07:48:47

何をご謙遜

パトラッシュさん

シシーマニアさんに自信がないとしたら、
世の中に、自信のある人など、居なくなってしまいますよ。

教える立場として、最も危惧するところ。
生徒の才能の芽を摘んではならない。
これはよくわかります。
その人生を左右するかもしれない。
ということを、私も生徒と向き合う時、常に思っています。
たかが道楽に過ぎない、囲碁においても……です。

自惚れの効果として……
非を相手側に押し付け、こちらは悩まない。
ということもあります。
私は、かなり自己中心的人間であります。

2016/04/10 07:41:35

皆さんからの貴重なご意見

彩々さん

お早うございます。
皆さんが親身になって出してくださるご意見、
読ませていただき、勉強になります。

私メ、現在、陶芸という趣味を通して
自分の技術が向上せず、半年後の作品展を前に
少々、焦っている所です。
でも、全く辞めようとは思いません。

前回の4年前の作品展を終え、一旦、師の元を
離れ、自由に作陶させてくれる所に通った事があり
ました。
そして、そこで3年過ごした後、出戻りました。
結局、基礎的なこと守らず、ただただ創り続けた
無駄な(?)時間を反省もしました。

今はまた、厳しくも暖かい師の元で叱咤激励、いえ、
叱咤、叱咤の中、頑張る精神を付けさせていただいている
次第です。

人生、一生、修行だなぁ…そう、つくづく思う
今日この頃です。

↑おやっ!? 彩さん、どうしたの??

と問う、パト師匠の声が聞こえてきそう…。


小さな生徒さん、今は塾だ、習い事だと忙しくもあり。
また、パト師匠の元にふらっと顔を出しにいらっしゃる
ことでしょう。

2016/04/10 06:30:59

○○はつらいよ、ですね

シシーマニアさん

さすが師匠ですね。
これは、人間性でしょうか。


「私には自信がない、ということは、自信を持って言える」と言うのが私のキャッチフレーズでして・・。

まあ、相対的にはかなり良い教師、とは思っているのですが。
自分より才能が豊かそうな生徒には、芽を摘むではいけないという危惧の念が先走りまして。

2016/04/09 22:33:59

さもありなむ……

パトラッシュさん

シシーマニアさん、
失礼しました。
なるほど、そういう意味でしたか。
シシーマニアさんほどの、自己に厳しい人が、去る生徒を慰留するのは、おかしいとは思っていました。

私の場合、先生批判とは、受け止めません。
私より上手に教える先生が、この世に居るか……
居たら、その顔が見たいもんだ……
くらいに、うぬぼれておりますので。(笑)

2016/04/09 21:08:48

反省はします

シシーマニアさん

言葉足りずでした・・。

慰留などとは、とてもとても・・。
個人レッスンですから、生徒が辞めるということは、原因は先生批判かもしれません。それでドキドキです。

勿論、去る者は追いません。
その辺は、去られる教師のインパクトが弱かったかと、反省もします。まあ、余り体験としては多くはありませんが。

でもやはり、基本的に私は努力の積み重ねが好きですので、去っていく人には未練はありません。

2016/04/09 20:55:19

長幼の序

パトラッシュさん

吾喰楽さん、
才能とは、必ずしも長幼の順になりませんね。
そこが難しいところです。
お姉さん、書道は諦めても、他の分野で頑張ってくれると面目が保てるのですがね……

2016/04/09 19:40:48

予想外の人生

パトラッシュさん

風香さん、
子供は、ちょっとしたことで、傷つくようです。
扱いが難しいです。
必ずしも子供好きでなかった私が、人生の終盤に至って、子供の相手をし、その扱いに苦慮しているのは、なんだか皮肉です。

2016/04/09 19:37:48

人生は長い

パトラッシュさん

SOYOKAZEさん、
そうです。傷ついたのでしょう。
幼いながらに、誰にもあるのですね。プライドは……

彼、そした彼女が、人生のどこかで、囲碁を思い出し、再開してくれると良いのですがね……
囲碁には、とても楽しい一面もあるのですから。

2016/04/09 19:34:33

おや……

パトラッシュさん

シシーマニアさんは、えらいですね。
慰留するのですね。
私には、その辺が出来ません。
成り行きに任せてしまいます。
愛が欠けているのかもしれません。
生徒に対し、そして、囲碁に対し……です。

囲碁は勝つか負けるか。
絶対評価です。
私はこれが、性に合っているのですが、
中には、これが重荷になる人も居るのでしょう。

2016/04/09 19:30:40

今の世は

パトラッシュさん

喜美さん、
男はおおむね、スポーツの方が好き。
息子さんが、ピアノを捨てたのも、仕方ないかもしれません。
両立は、なかなか難しいですから。
それに、今の世は、面白いものが、たくさんありますからね。
子供を引き留めておくのも、大変です。

2016/04/09 19:23:03

姉妹

吾喰楽さん

こんばんは。

次兄の二人娘のことです。
二人して、書道を始めました。
少し遅れて始めた妹の方が、上達が速かったのです。
姉も決して下手ではなかったのですが、妹に負けたのが悔しかったのか、止めてしまいました。
悔しさも、良い方向に向かえば良いのですが。
難しいですね。

2016/04/09 18:11:21

難しいですね

さん

子供、と思っていても心理的には大人と大差ないですし。
楽しく読ませていただきました。

2016/04/09 18:09:32

プライド

さん

パトラッシュ師匠 こんにちは。

子供ながら、やはりプライドが傷ついたのでしょう?
同じ小学生なら年下でも大丈夫だったかもしれません?
ただ、身体もずっと小さな幼稚園児では・・
プライドとは、実に厄介なもので、「なにくそ!」とプラス方向に傾けばOKですが、逆だと、挫折感と屈辱感に責めさいなまれます。
でも、幼稚園児のお相手は、そうそう居ないでしょう?
仕方ありません。
はっきり勝敗がつく世界は厳しいですね。
去って行った小学生が、もう少し大人になったら「短慮だったな」と思うかもしれませんね?

2016/04/09 16:14:04

肝に銘じます

シシーマニアさん

去る者は追わず、でしょうか。

私は気が弱いので、生徒が連絡なしで休んだりすると、先生としてはもうびくびくものです。こんな時の勝負は、生徒対先生、の精神勝負ですけれど。大抵は、忘れた、というオチで終わりますが、まあこちらは真剣です。

毎回生徒同士の間で勝負が付く、碁や将棋はシビアでしょうね。でも、勝負がはっきりつくというのは日本人気質に合っているのではないでしょうか。

「悔しさを、闘志に変えられる、そのゾーンに、囲碁への適性がある」
囲碁を、芸術にも、置き換えられますね。

2016/04/09 14:24:14

戻るかしら?

喜美さん

私の息子がそうでした
相手はピアノ 姉は好きで
練習もして行きましたが弟は
サッカーやらボールが何でも好きでした
ピアノの先生が励ますつもりで
後から入った何ちゃんは頑張って
上手になったとか話したらしいです
我が子はそれ以来ピアノ行きませんでした

2016/04/09 11:29:37

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