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シーラからの贈り物? 

2016年02月23日 ナビトモブログ記事
テーマ:日常

<同級会に不参加>

 2015.11.30大分で行われる同級会への案内状が届いており、その返事期限の10.31が迫っていた。同級会開催の一番の趣旨は、「古希祝い」だったから悩んだ。結局、シーラの看病を優先して欠席と返事した。良かったのか悪かったのか!?


 
 シーラが食事をしなくなった2015.10.25に、近くの掛かり付けの動物病院に連れて行った。
 受付の問診で、これは重い症状と判断したのだろうか?単なる巡り合わせだったのか?院長先生の診察だった。
 診断結果は、「とりあえず3本点滴打って食欲が出るか様子をみましょう」だった。
 四緯羅が「年内まで持ちますか?」と尋ねると、院長から「早くて10月末、長くても12月末までは無理でしょう」とハッキリ言われた。

 さて、どうする同級会は?と四緯羅は悩んだ。
そして同級会の幹事長に11月1日にメールで「欠席」と返信した。
 「還暦祝い」から約10年後の同級会だから帰省したかったが、出来るだけ長く生きてもらいシーラの最期を看取ってやるか、同級生の絆のどちらを優先するかは四緯羅にとってセンシティブな問題だったのだ。

 四緯羅は両親とも最期の時には遠方に勤務していたので、死に目に会っていない。
 このため、死の場面に立ち会っていないのが、どこか心に引っかかっていた。
 シーラが縁あって家族の一員になり、最期を迎えることになるが、シーラの最期を看取ることで、両親も同じような最期だったのだろうと思うと、立ち会いたい気持ちの方が強かったのだ。

 世の中はペットは生きていながら物扱いだ。
四緯羅の経験でも犬を購入した後は、雑品として管理していたし、当市のHPを見ても死後はゴミと一緒に焼却する書いていた。
 これが、自然の感覚なのだから、四緯羅の感覚が世の中の認識と少しだけ違うのかもしれない。
 どちらも正しい感覚と思うが、同級会から16日後の12月16日に亡くなったことは知らせていない。


 同級生の皆は、四緯羅が人間とペットの死を同等に判断した考えを、果たしてどう評価しただろうか・・・。
 四緯羅は後悔はしていない。



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