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パトラッシュが駆ける!

誰だかわからない 

2016年01月23日 ナビトモブログ記事
テーマ:テーマ無し

何処かで見た顔だが、思い出せない。
テレビかもしれない。
テレビで見た、お笑いタレントの誰かに、似ているような気がする。

その男が私に、挨拶をする。
「おはようございます」
仕方ない。
こちらも、同じように言い返す。
毎朝ではないが、しばしば会う。
三日と空けずに会う。

最初は、目礼であった。
それが、軽く頭を下げるようになった。
仕方ない。
こちらも同じようにした。
そうしたら今度は、言葉を発するようになった。

早朝六時、私は朝のウォーキングの途上だ。
彼は、駅の方へ向かっている。
出勤であろうと思われる。
この早朝に出かけるからには・・・
テレビタレントではないだろう。

歳は四十くらい。
身長は170センチ。
髪は短めの、七三分け。
何時も、黒っぽいコートを着ている。
こんな男は、何処にでも居る。
私の人を見る目というものは、まことに頼りない。

「失礼ですが、どちら様でしょうか」
目礼の段階で、恥を忍び、聞いてしまえばよかった。
時が経ち、今さら、尋ねにくくなっている。
こうなったら、何食わぬ顔で、すれ違うよりあるまい。
そのうち何か、あちらから、言い出して来るのではあるまいか。

 * * *

金物店を経営していた頃にも、同じようなことがあった。
路上で見知らぬ人から、にこやかに会釈をされた。
しかし、これは簡単に推測がなされた。
その態度や雰囲気から、相手はすぐに、店の客とわかった。

自分で言うのもおこがましいが、私は商店主として、
人当たりはよかったと思う。
特に、商品説明には、自信があった。
道具類の多くを、自分で試用していたから、
その経験に基づいた解説が出来る。
だから、説得力があったと思う。
客の側は、これを懇切丁寧と受け止める。
感謝をし、時が経っても覚えている。
それが突然の、路上の挨拶となって表れる。
ということではあるまいか。

店主は、日々、三〜四十人もの客の応対をする。
逐一、覚えてなんか居られない。
ところが、客の方は店主をよく覚えている。
そう言うものだ。

先生と生徒の関係に似ている。
生徒は卒業しても、先生のことをよく覚えている。
一方で先生は、卒業生全員のその後を、把握しているわけではない。

私はこの町に長く住み、金物店主として「面が割れて」いた。
そこだけ、先生と同じだ。
悪いことは出来ない。
何処に、関わりのある目が、光っているやも知れない。
それは、漱石の「坊ちゃん」の比ではない。
書店の店頭での、いかがわしい雑誌の立ち読みなど、
もってのほかであった。

その金物店を閉じ、もう随分と年月が経った。
さすがにもう、客から感謝されることもない。
路上で私に挨拶するのは、今や素性の知れた、顔ばかりになっている。

 * * *

今の私には、残った一つの顔がある。
金物店の跡に開いた、囲碁サロンの主だ。
しかし、その主の顔たるや、金物店主と比べれば、甚だしく印象が薄い。
社会の認知度も低い。
当然であろう。
多岐にわたる生活必需品と、片々たる道楽に過ぎない囲碁。
そこから派生する対人関係は、片や「浅く広く」であり、
こなた「狭く深く」である。
私と、世間との関わりは、今や、紙のように薄いものとなっている。

もしかしたら、生徒の親ではあるまいか。
悶々たる疑問に、ようやく光が見えた。
私には、近くの小学校に、三十人ほどの生徒が居る。
週に一回、私は「囲碁将棋部」なるクラブ活動の、コーチとして通っている。

その生徒の一人の、親ではあるまいか。
この推理には、根拠も何もない。
私の勘に過ぎない。
会うところが、決まって小学校の近く。
という偶然が、私を脈絡のない憶測に奔らせている。

生徒の親とすると、どうして私を知っているのか。
一つ考えられるのは、記念写真だ。
何かの大会がある度に、私は生徒らと一緒の、記念写真に収まる。
嫌でも撮られる。
その写真を見た、生徒の父親が覚えていた。
ということが考えられる。

今のところ、私の推理は、ここまでだ。
まったくもって、憶測の域を出ない。

休み明けの、今度の活動日に、生徒らの顔を、改めてよく眺めてみよう。
きっと三十人の中に、似た顔があるのではないか。
見つかったら、言ってやろう。
「毎朝、お父さんに会うよ」と。
もしも当たれば、私の目も、まんざらではないことになる。



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迷宮入り

パトラッシュさん

うきふねさん、
申し訳ありません。
急いで、太田胃散でも送りましょうか?
パンシロンの方がいいかな?

私には、よくよく眼力がないのでしょう。
休み明けのクラブ活動で、よく観察したのですが、思い当たる児童がみつからないのです。

真犯人、いまだに不明です。
どうなるでしょうね、この結末は・・・

あぁ、なんだかこっちも、腹の調子がおかしくなってきました。

2016/01/24 06:52:11

ドキドキですね

うきふねさん

引き込まれて、次は?次は?と読みました。
とうとう解らず終いですね。
パトさん、消化不良になりそうです。
どなたなんでしょう?思い出して^^
結局は私の知らない人でしょうが
気になって眠れそうにありません(^.^)

2016/01/23 21:16:06

個性というものです

パトラッシュさん

SOYOKAZEさん、
想像に難くないですね、貴女の活躍は。
(何しろ、突っ走る方だから)(失礼)

良いことです。
挨拶されるのは。
それだけ人望があるということでもあります。

文を書くにも、やり方は様々です。
私は、つまらないネタを、煮詰めて味わいを深くして、出す。
SOYOさんの場合は、そのイマジネーションで、卓抜なストーリーへと、
紡ぎ出す。
人それぞれ。
文もいろいろ。
真似することも、ないのです。

2016/01/23 19:14:41

題材即ち食材と同じでして

パトラッシュさん

シシーマニアさん、
私の場合は、世の常のブログ作者とは、少し違うのです。
月に十編、短文を書くことを、自らに課しております。
少し生意気なことを言えば、人様に読んで頂ける文をです。
ヒマさえあれば、パソコンに向かい、文を書いております。
ネタがない時は、困ります。
ほんの些細なとっかかりでも、そこから引き伸ばして、一文にまとめられないか・・・
と、そればかりを考えております。

さながら、食材の乏しい時に、それでも、何とか工夫して、主婦が夕餉を作るようにです。
本日の一編も、そんな苦渋の果ての一作です。

お褒めを頂き、正直悪い気はしません。
食材があれば、料理なんか誰でも出来る。
乏しい中で、腕を振るうのが、調理担当者の本懐・・・
というような頭もありますので。

シシーマニアさん、
安売りを悔やむことはありません。
あれはあれで、楽しい一文になっていますから。

2016/01/23 19:04:00

私も

さん

パトラッシュ師匠 こんにちは。

私も、スーパーや道端で挨拶をされるが、相手が分からないってことはしばしばでした。
昔は専業主婦だったので、PTAの重いポジションを長く勤め、おまけにPTA改革なんぞしてしまった為に、私は知らなくても、相手は知っていることが多くて。

挨拶だけなら兎も角、「お久しぶり〜」なんて立ち話をされると、焦りました。

しかし、シシーマニアさんも仰るように、このネタで、これだけの文章を書かれる才能に、今更ながら脱帽です。

2016/01/23 10:55:15

反省・・。

シシーマニアさん

今日は、題材が何もなくてもここまで書ける、というお手本の様な日ですね。
凄いなあ。

これは、構成力なのでしょうか・・。
面白がっている、作者の気持ちが反映されているからでしょうか・・。

全くもって、昨日の私のブログは、題材の安売りでした・・。

2016/01/23 10:28:18

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