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パトラッシュが駆ける!

お年玉もらった 

2016年01月15日 ナビトモブログ記事
テーマ:テーマ無し

サロンの戸が開き、顔を覗かせたのは、従兄のTであった。
「いやぁ、ちょっと寄ってみた」
どうやら、年始の挨拶のようだ。
「兄さん、幾つになったの?」
「いやぁ、三月で八十になる」
「血色が良いね、どこも悪いところないんでしょ」
「いやぁ、お蔭様で、なんとかやってる」
彼の「いやぁ」は、否定詞ではなく、むしろ肯定的感嘆詞だ。
一つの掛け声であり、これによって、会話に弾みをつけている。

「これ、ほんの少しだけど」
白いポチ袋を差し出した。
「なんでよ?何でこんなことするの?」
「いやぁ、ほんの気持だ」
小学生のような字で「酒代」とあり、下に「T」とある。

「いやぁ、困ったな」
「いやぁ、取っといて」
こっちまで、感嘆詞が伝染(うつ)ってしまった。
人が見たら、笑うであろう。
いやぁいやぁの応酬と共に、ポチ袋が、テーブル上を行きつ戻りつしている。

一しきり、世間話をして、Tは帰った。
その身に、変わりはないようだ。
デイサービスの利用を申し込んだら、区役所の職員が調査に来て、
階段の上り下りをさせられた。
あげくに、
「あなたは健康で、生活上の問題もない。
当面、介護の必要はないでしょう」
との査定が下されたそうだ。
Tは浮かぬ顔をしたが、これ、喜ぶべきことだろう。

袋を開けて見たら、四つ折りの紙幣が見えた。
一万円であった。
酒代とあるからには、これで酒を買え、飲んでくれという意味であろう。

若い頃のTは、働き者であった。
大家族の商家の、長男として、弟妹の行く末にまで、
気苦労が絶えなかった。
よく働いた。
ややもすると、道楽に奔っていた私とは、大違い。
身を粉にして働いていた。
但し、少々吝嗇であった。
これを「しまり屋」と言うことも出来る。
積年の苦労が、そうさせたのだと思われる。

商売を、十数年前にたたみ、その後は、不動産の賃貸で暮らしている。
ビルを一棟持っている。
大層な収入になるはずだ。

「残ってしようがないでしょ」
「いやぁ」
「あの世に持って行けないんだから、
今のうちに、使っちまったら」
「それが出来ねぇんだよ」
「美味いもの、食うとかさ」
「いやぁ、だいたい俺は、酒も飲まねえし、
何食ったって、うまいんだから」
これに驚いてしまった。
血筋かもしれない。
そこだけ、私と同じだ。
私もまた、美食を求める意欲が薄い。
但し、収入は少なく、道楽が多いから、Tのような左団扇ではない。

この歳になり、お年玉をもらうとは、思わなかった。
しかも高齢の従兄から。
金銭にシビアだった、かつての彼からは、考えられないことだ。

しかし、貰ってしまったものは、仕方ない。
使い道を、考えねばならない。
財布に入れ、なし崩しに使ってしまうのも、いかがなものか。
Tのやつ、厄介なものを残して行った。

 * * *

翌日また、サロンの戸が開いた。
またしてもTであった。

「いやぁ、昨日のことだけどね」
あれは間違いだった。
返してくれと言うなら、むしろ望むところだ。

「ここに来たことを、うちの家族には、内緒にしておいてもらいてえ」
「へえ」
「うちの者にも、それぞれ考えがある」
「ほう」
「礼なんぞに、来ないでもらいてえ」
「わかりました」
Tの現況、特に家庭内の立場というものが、おぼろげながら、
見えて来た。

兄弟は他人の始まりという。
いとこ同士であれば、なおさらだ。
もう何年も前から、年賀状は来なくなっていた。
私もつられて出さなくなった。
「親戚づきあいも、もう終わりですよ」
双方がこれで、納得しているものと思っていた。

そのTが、にわかに現れ、お年玉を置いて行った。
それも、家族には内緒で。
その真意を測りかねている。

 * * *

置いて行ったものは、仕方ない。
さりとて、遊興に費消してしまうのも、いかがなものか。
Tに比べれば貧乏な私だが、それでも、遊ぶ金くらいは、
不自由していない。
もちろん、飲む酒にもだ。

こんな時、私には奥の手がある。
寄付だ。
寄付してやりたい団体なら、それこそ、十指に余るくらいある。
捨てられた犬や猫、福島で放射能を浴びた牛、これらを救う団体がある。
幾つもある。
原発に反対する団体。
辺野古の海を守ろうとしているグループ。
寄付の先なら、事欠かない。

人のことは言えない。
私だって、吝嗇なのだ。
自腹を切ってまでの寄付が、なかなか出来ない。
貰った金で善行を施す。
内心忸怩たるものがあるけれど、やらないよりはましだろう。
私の中で、マネーロンダリング(資金洗浄)をやったと思えばいい。
「兄さん、一杯飲ませてもらったよ」
今度会ったら、Tにはこう言うつもりだ。



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なるほど

パトラッシュさん

我太郎さん、
似たような話ですね。
どういう風の吹き回しだか、理解に苦しむところ、そっくりです。
食うに困っているなら、ありがたく頂戴するのですがね・・・
まあ、贈る方は、深い意味もなく”気まぐれ”なのでしょうけれど。

妹さんの名でね・・・
感謝状でも届いたら、妹さんびっくりするでしょう。(笑)

2016/01/18 11:20:37

困りもの

我太郎さん

昨年末に妹から美味い物でも食べて、と1万円送られてきました
本当は逆なんで困りました
毎日デジカメ三昧でお礼も電話で済ませ、なにや良くないことでも起きているのではないかと危惧しましたが、そうんな風でもなく、何で今頃と胸につかえています
何をお返ししても邪魔なように思い、仙台の障害者支援施設に妹の名前で寄付することにしましたが、まだ送っていないこと思い出しました
ええ加減なお人やってます
今日は雨ゆえ明日晴れたら行きます

2016/01/18 10:17:00

仲良し小よし、だけが人生ではありませんもの

パトラッシュさん

シシーマニアさん、

家族、親族は、その近さゆえに、ややもすると、軋轢が生じやすいものです。
一旦こじれると、その修復は、他人同士より、ずっと難しい。
世間には、ざらにある話です。
気にすることもありますまい。

シシーマニアさんは、迷うことなく、ご自身の人生を歩んでおられる。
(ように見えます)
時に、おのれを曲げない。
それで、よろしいのだと思います。

2016/01/16 14:01:53

親族

シシーマニアさん

色々な、人間関係があるけれど、親族という繋がりは良くも悪くも特別ですね。

私は、数十年前から、自分の親族とは縁を絶っています。
叔父の死は、ネットで知りました。両親の葬儀にも、訳があって参列していません。

拝読しながら、涙が出てきました。
理由は、沢山ありすぎて、分析しきれませんが・・。

2016/01/16 11:54:42

人生いろいろ

パトラッシュさん

吾喰楽さん、
お金はあっても、家族には恵まれない。
金銭=幸福ではない。
と言うことを、つくづく考えさせられました。

お父様、懐の広い方だったのですね。
お兄様もえらい。
そうありたいものですね。

私もTを、何時でも歓迎してやるつもりでおります。

2016/01/15 20:50:07

似たような話を

吾喰楽さん

こんにちは。

従兄さん、お気の毒ですね。

ご家族の意向なのでしょうか。
子供が結婚すれば、孫が出来る。
若い親戚がどんどん増えるから、親の親戚を切りざるを得ない。
やもう得ないことなのかも知れませんが。

似たような話を、兄から聞いたことがあります。
「親戚付き合いを止めよう」と云われながら、後年、先方から接触があったそうです。
「来るもの拒まず。去るもの追わず」が、父の方針でした。
兄も、それを踏襲しています。

2016/01/15 16:35:28

さすが作家志望

パトラッシュさん

SOYOKAZEさん、
鋭いですね。
私の思っていることを、全部言ってくれました。
多分、おっしゃる通り。
さびしいのだと思います。

寄付に回したよ、とも言えませんもんね。
飲んだことにします。
立川のTで。(笑)

2016/01/15 12:08:32

寂しいのかしら?

さん

パトラッシュ師匠 こんにちは。

謂れのないお年玉を、この歳で貰ったら、戸惑ってしまうでしょうね。
従兄さんは、お金に不自由しないけれど、頑張って働いて来たのに、家庭内では、居心地が悪いのでしょうか?
不自由でもないのに、デイサービスに行こうとしたり・・・
きっと、親しいご友人に先立たれ無聊を囲っているのでは?
お金があって、楽しみがないのもつまらないものかもしれませんよ。

さりとて、謂れないお金を貰って呑むのもスッキリしない。
それなら寄付にという、師匠のお気持ちもわかります。

>「兄さん、一杯飲ませてもらったよ」
嘘も方便、これであちらも嬉しいでしょうね。

2016/01/15 11:43:46

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