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独りディナー
老婆のラヴェル
2015年12月16日
テーマ:シニアライフ
ラヴェルの「水の精」
ベルトランの「夜のギャスパール」という詩に想を得てラヴェルが作曲した、ピアノ音楽史上屈指の名曲がある。
「水の精」は、その組曲の、第一曲目にあたる。
ピアノ曲には珍しく、曲は殆ど詩の内容に沿って進んでいく。
人間の男性に恋をしてしまった、水の精の悲恋物語。
最初に弾いたのは、大学三年の時であった。
「ねえ、聞いて。私よ。水の精」という言葉から始まる詩の通りに、左手のメロディがゆったりと語りかける。
若かった私は、自分が水の精になったつもりで、心細さを感じながら、憧れの君に語りかけるつもりで、いつも弾いていた。
着るドレスは、いつも黒だった。
それが、今回弾きながら、自分の気持ちがいつしか年齢相応の老婆となって、水の精伝説を皆に語り聞かせる様な、そんな気分になっていたのだった。
気付かずして自分が「語り部」になっていたとは・・。
これは私にとって、大きな発見であった。
「亡き王女のためのパヴァーヌ」という、やはりラヴェルの曲がある。
これは小品なので、よくアンコールに弾く曲だけど、この曲も今回は弾いていて変化していた。
今まで弾いていたテンポに比べて、ゆったりした流れが自分にしっくりきたのだ。
一体自分に、何があったのだろう。
自分は老婆であると、やっと感覚が認めたのだろうか・・。
昨日のミニコンサートは、そんな老婆のラヴェルから始まった。
後半に、バッハのオルガン曲の最高峰である「パッサカリア」がある。
ちょっと途中で空気を換えるため、私は胡桃割り人形の「花のワルツ」を、連弾で弾く予定にしていたのだが。
残念なことに、一緒に弾くはずのお仲間が高熱を出してこられなくなり、クリスマスの雰囲気を演出するのはかなわなかった。
でも、嬉しいことに教会の牧師さんも、聴衆として私服でいらしてくださり、最初にお話もしてくださった。
そして、クリスチャンであるオルガニストの友人が、バッハの作品を聖書と関係づけて解説していたのも、礼拝堂という場にふさわしい空気を生み出してくれた。
生で聴く「パッサカリア」は壮大で、それはクリスマスにふさわしい演奏であった。
終わってから、近くのイタリアンレストランで打ち上げをした。
聴きに来てくださった友人たちも大半参加してくれて、
飲める人も、飲めない人も、イタリアの横丁にでもありそうなそのレストランの雰囲気の中で、楽しいクリスマス会を送ることができた。
クリスチャンの方は、今日は神様から素晴らしい贈り物を戴きました、と言って下さった。
伺ってみると、礼拝堂にあるグランドピアノは、そのご夫婦が寄贈された楽器であったらしい。
老婆にとって、実に素敵な会であった。
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右脳と左脳をつなぐパイプはどうなっているのでしょう
師匠もやはり、右脳の世界から簡単には文章の世界には移行しないのですね。
それが、逆の切り替えが簡単、というお話。
実に、面白かったです。
今まで、考えたことがなかったからです。
私の場合は、文章を書くのは楽しみの筈なのに、何故か、体力気力がなければ、パソコンに向かったとしても書きたい事が出てきません。
確かに、ピアノも集中しない時間は多々ありますが、とりあえずどんな時でも始められます。
洗濯機を回しながらでも、オーブンにお肉を入れたままでも、幼かった子供を迎えに行く前のちょっとした時間でも、ブログを書き終えた直後でも、いつでも始めることはできます。
でも、これはずーっと、慣れだと思っていました。
師匠のお話は、とても面白かったです。
2015/12/16 21:01:31
彩さんの様に、
趣味が広いわけでもなく、多方面にわたってお友達がいるわけでもなく、そんな私が信者でもないのに、教会でミニコンサートを企画したなんて、自分で自分を褒めたい気持ちです。
たった一つの、ピアノという潤滑油のお蔭で、新しい土地でも最近は、少しずつ知人ができてきました。
このシニアナビでも、ちょっと特殊な環境のお蔭で、面白いコメントを書いて戴けて、結構私の人生捨てたものじゃないかも、と思っている昨今です。
2015/12/16 20:46:11
そうです
囲碁将棋は、右脳を使うとされています。
それが、児童の知育の発達に、貢献するとか、
年配者のボケ防止に効ありとか、様々に言われております。
真偽のほどは、わかりません。
シシーマニアさんの経験をお聞きし、私の場合を考えてみました。
そういえば、囲碁をやった直後に、文を書くことはほとんどありません。
書く意欲が、すぐには湧かないというところでしょうか。
一方で、書くことを中断し、碁を始めることは、しばしばあります。
苦になりません。
切り替えが簡単です。
この辺に、何かあるのかもしれません。
大脳生理学者ではないので、まったく説明は出来ないのですが・・・
2015/12/16 17:17:16
満ち足りた時間を
それも教会という「神様の家」と言われる
場で、皆と共感し合えた後には疲れが
残るものですよ。
それぞれにとって、素晴らしい時間だった
のですね。
>礼拝堂にあるグランドピアノ
いいですねぇ。
私が行く教会にも、シシーさんのように心を震わせる
想いをさせてくれる音楽家が来てくれないかしら。
いや〜羨ましがっても、これも教会とご縁があって初めて
叶う事なのでしょうね。
老婆、老婆って…一つ年下の私はどういえば
いいのかしら!?
2015/12/16 16:20:24
老齢も、悪くありませんね。
師匠、いつもながら温かいお言葉ありがとうございます。
ピアノを弾いていると、文章を書こうという気力が減退するのは、なぜでしょうね。
音楽は右脳を使うので、左脳に転換する為にはバリアがあるのでしょうか。それとも只の、老齢による疲労感でしょうか・・。
将棋や碁は、右脳を使うのでは、と私は思っているのですが、師匠の場合は、いかがですか。
2015/12/16 14:49:03
老婆は一日にしてならず
吾喰楽さん、
代わりに言って下さって有難うございます。
実に、その通りですよね。
私も、タイトルはこっちにしようかと、思った位で・・。
交友関係が少ない私としては、楽しい忘年会ができました。
2015/12/16 14:40:19
まことの花
寄贈したグランドピアノが、人を得て、妙なる音を響かせる。
「仏作って、魂が入った」ようなもの。
寄贈者の喜びたるや、いかばかりでありましょう・・・
おっといけない。
そこは教会でしたね。
「十字架作って」にしておきましょう。
老婆はご謙遜です。
ご自身の口から、老練、老成、老功とは、それは言えないでしょうけれど。
若い頃の、瑞々しい感性の、迸るにまかせた演奏も、
それはそれで、よかったでしょうけれど、もしかしたらそれは、
世阿弥が言うところの「時分の花」だったかもしれません。
歳を重ねることに、アドバンテージは必ずあるはず。
今のシシーマニアさんの演奏こそ「まことの花」なのではないでしょうか。
2015/12/16 09:16:58
老婆は
おはようございます。
無事、ミニコンサートが終わったようで何よりです。
そして、打ち上げも良い雰囲気だったようですね。
>年齢相応の老婆となって、水の精伝説を皆に語り聞かせる様な・・・
クラッシック音楽に疎い私ですが、その気持、解かるような気がします。
言い古されたギャグですが、「老婆は一日にしてならず」です。
2015/12/16 07:47:56