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パトラッシュが駆ける!
徂徠と豆腐屋
2015年12月11日
テーマ:テーマ無し
時は元禄十五年。
本懐を遂げた、赤穂浪士の処遇に、幕府は苦慮させられた。
その仇討が、痛快であっただけに、世論は浪士擁護で、湧きかえっている。
幕閣にも、同情論があった。
武士の鑑として、賛美し、助命を主張する向きさえあった。
しかし結局は、浪士一同に、切腹を命じることで、落着している。
「事は義なりと言えども、畢竟は私論也。もし私論を以て、
公論を害せば、これ以後、天下の法は立つべからず」
諮問された学者、荻生徂徠は、情を排し、厳然と筋を通すことを主張した。
ここに、彼の見識を窺がうことが出来る。
もしも浪士を処断しなかったら・・・
その後の江戸の空気は、随分と違ったものになったろう。
それが良いかどうかは、また別の問題だが。
歴史と言うものを、風景として眺めた場合、死んだ浪士達ほど、
江戸期を、絢爛と彩った者はいない。
この国の歴史の中でも、源義経の、悲運の死と並び立つくらいに、
その彩りは、際立っている。
後世の芝居ファンは、浪士達を死に至らしめた、荻生徂徠に感謝すべきかもしれない。
* * *
徂徠には、貧しい学者の時代があった。
豆腐を食べたいが、その金もなかった。
豆腐屋の情けにすがり、ただで食べさせてもらった。
その困窮を見かねた豆腐屋は、自らも貧しい中から、徂徠のその後を助けてくれた。
その豆腐屋が、火事で焼け出された。
江戸は火事の多い町であった。
折しも、赤穂浪士の討ち入りが成った、翌日のことである。
その頃の徂徠は、将軍家の知遇を得るなど、既にして栄達を遂げていた。
火事を知った徂徠は、店舗再建のための援助を申し出る。
ところが、この豆腐屋が一徹者で、この申し出を受けない。
その言い分が、振るっている。
「義士達を切腹させた、その男からの施しなんか、受けるもんか」
実にもう、江戸っ子の心意気を示している。
それに対し、徂徠は諄々と説いた。
「豆腐屋殿が、ただ食いした豆腐代を“出世払い”にしてくれたお蔭で、
自分は盗人となることを、免れた。
その情けがあり、今の自分がある。
自分も学者として、法を曲げず、浪士に情けをかけた」
情を前面に押し立て、この辺り、牽強付会の感がなくもない。
さらに説く。
「武士たる者を、見事に散らせるのも、情けのうち。
武士の大刀は敵の為に、小刀は自らのためにある」
その小刀を、浪士達の手により、美しく使わしめたという論法だ。
これに豆腐屋が、感心する。
徂徠の理屈に、丸め込まれた感が、ないでもないが、
ともかくも納得し、援助を受けることになる。
その豆腐屋の、最後のセリフがいい。
「先生はあっしのために自腹を切って下さった」
見事なオチになっている。
その通り、これは落語である。
その名を「徂徠豆腐」。
忠臣蔵が、様々な物語を、そのメンバーの外縁に派生させたように、
徂徠もまた、忠臣蔵のおかげで、一つの落語を生じしめている。
* * *
徂徠は、学者でありながら、書斎に籠るばかりではなかった。
市井に通じ、人間の本質をも、よく見極めていた。
諧謔に富んでいた。
鋭い警句を残している。
「人生最大の楽しみとは、豆を噛んで、古今の英雄を罵倒することだ」
当然、酒を飲みつつであったろう。
気炎の上がらぬわけがない。
武士も町民もない。
賢者は賢者なりに、愚者は愚者なりに、世を嘆き、人を罵る。
それが相対的に、自己の優越を示すことになるからだ。
愚者たる私も、当然のように、これをやる。
居酒屋において、仲間と飲む時にやる。
家でテレビを見ながら、独酌しつつもやる。
「安倍のやつめ・・・」
呼び捨てにする。
「戦後最悪の首相だ」
叫んでいれば、溜飲が下がる。
下がるような気になる。
江戸の町民と、変わらない。
違うのは、時代の背景だ。
江戸の昔、公方様を罵ったら、それは恐れ多かろう。
「この無礼者めが」
奉行所のお白州に、引き据えられたかもしれない。
それで、現存しない英雄を、槍玉に上げたのであろう。
今は自由の世の中、誰に遠慮があるものか。
耳を澄まして、聞いてみるがいい。
居酒屋では、テーブルごとに、罵倒が渦巻いている。
昨今流行の、ブログにおいても同じだ。
三権の長はもちろん、権威権勢を持つ者、すべてが対象になる。
読売巨人軍監督なんて、当然のようになる。
横綱白鵬もまた然り。
芥川賞受賞者だってなる。
紅白出場の成った、か弱い女子さえもなる。
歴史を遡らずとも、現存の人物をもって、間に合わせられる。
これは、幸せなことなのかもしれない。
罵倒ほど、快いものはない。
しかしそこには、酔余の憂鬱が、待って居ないこともない。
酔臥から醒め、ふと顧みれば、罵倒した古今の英雄に比べ、
我が身のなんと、卑小であることか。
そこに気付かされる。
辛い。
だから、いっそ、醒めぬ方がいい。
我が身を顧みない方がいい。
罵倒に終始している方がいい。
ということになる。
* * *
私がもしも、浪士達を裁可する立場だったら、どうか。
多分易々と、助命の方向へ画策することだろう。
私に、徂徠の見識はない。
そこから来る、峻烈もない。
もしも豆腐屋だったら。
そっくりそのまま、同じことをやるだろう。
相手が誰であれ、一応の筋論を言わずには、気が済まない。
しかし、頃合いを見て、さっさと、その申し出を甘諾するだろう。
私は、陋劣な人間だ。
しかし、権門勢家にあらず、地位も名声もないので、
辛うじて、罵倒を免れている。
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落語は
シシーマニアさん、
史実と私感が交錯し、混乱されたかもしれませんね。
申し訳ありません。
「徂徠豆腐」は私の創作ではなく、実在です。
こんな落語を、作ってみたいとは思いますが・・・
落語=話芸ですね。
滑稽を含むため、ややもすると、他の古典芸能に比べ、低く見られがちですが、
私は、立派な伝統芸だと思っています。
一人で演じる分、芝居の役者より、えらいなあと思ったりして・・・
2015/12/17 06:18:23
落語は好きですが、疎いので・・。
師匠の創作だと思い、読み始めました。
それにしても、史実を駆使しながら話を進めて行かれる大胆さに、ちょっと驚いたのも事実でした・・。
これぞ江戸っ子という落語なのですね。
私にとって、落語とは、必ずしも笑い転げなくてもとにかく好きな分野です。
よくCDで聞いたりしましたが、一人の人が語る言葉で、様々な世界が頭の中に繰り広げられる、その面白さが堪えられません。
読み聞かせ芸の最高に極められたもの、といった印象です。
更に、笑わせてくれるなんて、実に贅沢ですよね。
2015/12/16 21:22:35
理解不能でござんす
Reiさん、
お勉強しても、お勉強しても、永遠にわからぬのが、女心というやつです。
思えば人生を、これで振り回されっぱなしでした。
肥後もっこすだと思っていたReiさんでも、あっさり援助を受ける?
これも女心でしょうかね・・・
2015/12/11 19:08:57
勉強になりました・・・か?
荻生徂徠のこと、大変勉強になりました。
落語のことも・・・見事なオチです。
でも、SOYOさんのことは、わかっていましたよ。
女心は複雑で、一筋縄ではいかないんです。
男性陣は、お勉強になりましたね!
ちなみに、私が豆腐屋なら、すぐさま援助を受けたことでしょう(^^;)
2015/12/11 18:00:23
衆目は一致です
吾喰楽さん、
早速落語を確かめるところは、さすがですね。
志の輔ならよかったでしょう。
芝居も落語も、演者により、かなりのバリエーションがあるようです。
私は「自腹を切る」というのが、この落語の白眉だと思うのですがね。
2015/12/11 16:42:58
珍しや
彩々さんは、コーヒーにミルフィーユかと思っていました。
塩饅頭とは、それまた、珍しいですね。
ギャラリーに、写真を載せてもらえばよかった。
抹茶でも立てましたか?
抹茶は右、饅頭は左に置いて下さいね。(笑)
2015/12/11 16:37:57
ふふふ
お二方共ハズレです。(笑)
確かに私は「鳴かぬなら、鳴かせてみよう不如帰」という性格です。
しかし、自分に似ていないけれど、人質時代、耐えに耐え、我が妻子を殺すことになっても、隠忍自重、じっとその時を待った家康を評価しています。
長い戦乱の世に終止符を打ち、三百年の長きにわたって、お江戸を中心とした一大文化都市の元を作ったのは家康です。
町人文化が花開いた江戸時代、風流と人情豊かな江戸っ子も、彼が作った街で生まれました。
一方、秀吉は百姓から天下統一し、痛快ですが、晩年の我が子可愛さの愚行にはがっかりです。
と、いうことで、正解は私は家康贔屓。
夫は秀吉でした。
女は、こう見えて、中々複雑なのです。(笑)
2015/12/11 15:54:15
この季節ならではの
お話しかと、また一つ賢くなった…(・_・D フムフムと、
好物の塩まんじゅうを食しながら、パト節を興味深く
読ませていただいておりましたら、
赤穂浪士から、Soyo家の夫婦像の話に展開していて
大笑いしました。
2015/12/11 15:49:34
私も
こんにちは。
SOYOさん=秀吉
ご亭主=家康
今しがた、志の輔の「徂徠豆腐」を、YouTubeで聴きました。
忠臣蔵との関わりを少なくし、オチも替えてありました。
色々、噺家がアレンジするようですね。
私は、オリジナルの方が好きです。
2015/12/11 14:50:16
それは決まってます
SOYOKAZEさん、
貴女の性格を知っている人は、皆さん、こう答えるでしょう。
SOYOさん=秀吉
ご亭主=家康
絶妙の取り合わせだから、貴家は持っていたのだと思います。
この”戦国の世”に。(笑)
2015/12/11 14:37:32
問題にお答え下さい
パトラッシュ師匠 こんにちは。
昔は、ことある毎に、悲憤慷慨、特に歴史上の人物などについては、自説を曲げず、夫婦喧嘩をしたこともあります。(秀吉VS家康で)笑
今は、多少は丸くなりました。(自分ではそう思っています)
なんか、反論が出そうですが・・(笑)
忠臣蔵の裁定ですが、人情では許してやりたい。
しかし、政を司る者には、ご定法を自ら破る事は権威の失墜、世が麻のように乱れる元です。
やはりあれしかなかっただろうと思いました。
只、預かり屋敷によって待遇に差があったのは残念。
最後まで武士の鏡として遇して頂きたかったです。
しかし、何でも落語のネタになるものですね。
まぁ、今でも「物書き」はネタはないかと虎視眈々なのですが。(笑)
ここで、師匠に問題。
夫と私、秀吉と家康をどちらが支持したでしょうか?
そして、その理由は?
2015/12/11 14:24:30