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独りディナー
運転は苦手
2015年12月02日
テーマ:思い出すままに
私が、運転免許を取ったのは、30歳過ぎてから、アメリカに在住中であった。
とにかく、アメリカでは免許取得が簡単なのだ。
私が住んでいたのは、人口二万人という小さな大学町で、学科試験は予約なしで受けに行き、合格すれば4週間後くらいに実技試験の予約を入れる。
学科試験に通過した後は、その州の免許保持者が同乗していれば、公道を走ることができる、という何ともおおらかなものだった。
これは、30年以上も前のことだし、州によって多少違うらしいけれど、免許がなければ生活できない国だから、当然なのだろう。
高校卒業の前に、年齢に達したものは学校で学科試験を受け、そのあとは母親に同乗してもらって実技の練習をするパターンが多いと聞いた。
我が家では、到着してすぐ主人がその州の免許を取得した。
私が実技の練習をする際の、同乗者になる為であった。
大学の構内には大きなサッカー場があって、試合のない時は誰もいない。
勿論大きな駐車場もあるから、練習場はそこが定番であった。
そこの大学には、世界中から研究者が集まっていたので、運転免許取得のために練習する人たちの歴史があったのだろう。
先輩の教えによると、試験でのポイントは、まっすぐバックで運転することと、縦列駐車ができること、この二点だと聞いていたので、そこで毎日駐車の練習をした。
試験の際は自分の車持込みオーケーだったので、着いてすぐガレージセールで買った、古くてドでかいステーションワゴンの車に、二人の幼児を後部座席に乗せて、仕事から戻った主人に教えて貰う毎日が続いた。
その静かな大学町では、余り通行人も見かけなかったので、何処へ行ってもまるで自動車練習所の様な、恵まれた環境であった。
アメリカの中では古い町だったから、中心部へは殆ど歩いて行けたのだが、二年目に入ってから、娘を「ナーサリー・スクール」と呼ばれる幼稚園に通わせるために、私は運転免許を取得したのだった。
実技試験は、試験場内にある道路で行われて、すんなり合格。
私はアメリカを去るときに、国際運転免許証を作ってきたので、帰国してからは簡単に日本の運転免許証に書き換える事ができた。
しかしこれが、逆のケースは大変なのだ。
州にもよるらしいけれど、主人が渡米時に日本で作った国際免許の書き換えに行ったら、新たに学科と実技の試験を受けなければならないシステムになっていることが判明。
数年後、我が家はカナダに一年間に住んだのだが、その時もやはり、在住者はその地で、新たに免許を取るように言われたのだった。
だから私は、運転免許の試験は、アメリカとカナダと二回受けているけれど、日本の難しい試験は受けていないのだ。
カナダの方は、やや本格的で、公道で試験を受けたけれど、やはり自分の車持ち込みオーケーなのだった(試験場まで、自分で運転して行って・・)
我が車に乗ってきた試験官の女性が「ハロー! ハウ アー ユー?」と声をかけてきたので、低い声で「ナーバス・・」と答えると、その人のよさそうな彼女は、くすっと笑って「当然よね」と言った。
不思議なことに、それで二人の間に共通な空気が流れて、いとも簡単に試験は終わったのだ。
いずれにしろ、私はあまり運転には向いてはいないようで、海外生活では乗っていたけれど、出先から帰宅するまでどこかで緊張していたし、日本に戻ってからは、電車の方が時間的に信頼できる東京生活では、車に乗ることは余りなかった。
ところが、当地に越してきて二年目から、非常勤で通い始めた大学が、交通アクセスの悪い場所にあって、免許を持ってるなら車の方が絶対に良い、と何人もの人に言われた。
通勤することが決まって、授業が開始するまで、私は自宅から45分くらいかかる大学まで、毎日一回は往復する練習を始めた。
教えている間中、帰りの運転が気になっている様じゃ、仕事にならない。
まずは、地図を見ながら、主人に乗せてもらった。
二回位往復して、道を曲がる前には、どの辺で車線を替えるか、等を覚えこみ、今度は、主人に横に乗ってもらって、自分で試運転。
行き方を覚えてからは、自主練をひと月くらい毎日続けて、なんとか通勤ができるようになった。
一度、広い駐車場の端に置いた車が、何故かその日ばかりは他の車がずらっと並び、出すに出せなくなって、タイミングよく現れた男の先生にお願いしたことは、あるけれど。
只、乗っていた車は、ホンダの二人乗りスポーツタイプだったので、運転技術を知らない学生たちには、ちょっと評判だったらしい・・。
仕事を辞めてからは、運転席に座ったことはない。
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安全第一、おっしゃる通りです。
吾喰楽さん、コメントありがとうございました。
当地では、シニアの女性ドライバーも大勢見かけます。皆さん、運転は慣れだ、とおっしゃいます。でも、慣れる前に私は疲労困憊してしまいそうで、もう手は出さないことに決めました。
2015/12/02 20:30:27
運転役に、感謝ですね。
喜美さん、こんばんは。
私も車は助手席が好きです。道は全然覚えませんが、リラックスして目的地に到達できますから・・。
すべて、運転役を担ってくれる家族のお蔭ですよね。
2015/12/02 20:28:02
車も、病院も、苦手です。
師匠、コメントありがとうございました。
都心に住むと、車はあまり必要ありませんね。時間も当てにならないし、駐車場探しにも苦労するし・・。
当地は自動車王国ですから、乗った方が便利かもしれません。でも、やはり向き不向きがありますので、私はシニアにふさわしく、公共交通で時間をたっぷり使って動いています。
因みに、我が家も病院嫌いです。
熱が出れば、静かに休んで自然治癒をひたすら待ちます。
まあ歳と共に、それだけでは済まない事象も出てきますけれど。
2015/12/02 20:24:13
身分証明書として、持っています。
彩さんはいかにも、当然のように車を運転するタイプに思われます。
下駄代わりに、とかいいそうじゃありませんか・・。
大きい外車にも乗ってらしたのですか。頷ける気がします。何となく、大きなスケールを感じるので。
私自身は、運転席に座らないことが社会貢献だ、位に思っていますが。
2015/12/02 20:17:20
安全第一
今の地に移り住んだとき、ペーパードライバーだった妻の特訓をしました。
わが家、車の無い生活は、不便極まりないです。
私は運動神経が鈍い方で、当初、運転は下手でした。
ところが、仕事で長距離運転をするようになり、鍛えられました。
富山では、年間6万kmも運転していました。
今、運転技術は下降線を辿っています。
安全第一を心がけています。
2015/12/02 15:37:48
車
私は免許証持ったことありません
車の仕事で主人は車馬鹿 クラウンが好きでした次々買い換え
お蔭で隣で楽な事 其れが年齢で辞めてから 主人より以上私が不便で
不平言っていました 今は たまの外出
タクシーです(私の家高台で今未だ
足が治りかけですから)
2015/12/02 14:06:10
返上しました
アメリカの、大らかな国情が、想像されます。
車がなければ、生活の出来ない環境で、その参入の門は、
出来るだけ広く・・・ということなのでしょうね。
何か事が起きれば、あとは自己責任で、ということで。
狭い日本の、混雑する道路事情下では、そうも行かないでしょうけれど。
私は、商売をやっていた関係で、若くして、免許を取らざるを得ませんでした。
しかし、元々、運転が好きだったわけではないので、古希を迎えたのを機に、
さっさと免許を返上しました。
ごくたまに、不便をかこつこともありますが、一方で、
税金や保険料、車検に患われることもなくなり、
また、事故の心配から解放されたこともあり、実に爽快です。
これは、東京都区内に住んでいることの、メリットなのかもしれませんが。
2015/12/02 13:50:25
運転の歴史
何故か、真面目で真剣な顔をしてして
運転してらっしゃるシシーさんが目に浮かびます
と言っても、お会いしたことが無いので、何となく息子さんが
書かれたイラストの顔になってますが(笑)
>自分の車持ち込みオーケーなのだった(試験場まで、自分で運転して行って・・)
それにしてもなんとおおらかな(!?)というか、さすが
大国アメリカは大雑把ですね。
運転免許取得時、私は32歳です。
まだ若かったのですね。
最短時間で取れて、自分でびっくりしたくらいです(笑)
車の話しは思い出深いですね。
乗り換えた車も数知れずです。
大きい外車にも乗ってましたが、今はマイサイズの
軽自動車で小回りよく走ってます。
お互い何時まで乗れるかという年齢になって
しまいましたね。。。。
2015/12/02 12:31:44