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人生いろは坂

今を生きる 

2015年11月29日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



 政治的にも経済的にも、そして自然現象さえも混沌として行方定まらぬ状況にある。
歴史を紐解くと、人心乱れるとき、天変地異も頻発している。あの平穏だったとされる
徳川幕府300年間に於いてさえ、様々な事件や想像を絶するような天災が数多く
生じている。歴史の本を紐解いてみて欲しい。

 今や時代は、国際化の時代である。一日本国だけのことではなく、様々な国々との
関連が日本の利害関係に影響し、とても鎖国時代のような訳にはいかない。

 そして、それらは複雑に絡み合って、禍福はあざなえる縄の如しという、ことわざ通り
昨日の喜びは、今日の悲劇というように、日々大きな変化をしている。

 こうした複雑怪奇な時代をどう生きるか。誠に生きるには難しい時代だと言えよう。
また、見方を変えれば、これほど変化に富んで面白い時代もないと言える。それは
それぞれの見方、考え方の違いであろうか。

 この世は、実は楽しく生ききることが本来のあるべき姿だと言われている。一喜一憂
するのではなく、全てを受け入れて、全てを受け流す知恵こそ、生きていくための知恵だと
言うことが、般若心経から読んで取れる。

 人生は般若心経に書かれているように、夢幻(ゆめまぼろし)なのかも知れない。
いわば映画「マトリックス」のように、長い長い幻想の中で体験しているものなのかも
知れない。私たちは意識というものを通じて、見たものを考え、あたかもそれが現実の
ように思っているけれど、全ては自分の意識が作り出した幻想かも知れないのだ。

 従って、本来は過ぎていく時間も幻想のための演出でしかなく、全ては一瞬の出来事
なのかも知れない。それが死んでいくときに見るという走馬燈のような過去なのかも
知れない。それとも、元々、時間なんてものはありはしないのかも知れない。

 百万人いれば百万人の意識世界がある。同じものを見ていても、見え方はそれぞれの
人でまるで異なって見えている。同じ方向を向いていても意識が異なれば見えているものも
異なってくる。これは記憶というものを、お互いに比べてみると良く分かることだ。

 同じ旅を経験していても記憶に残ったものは、まるで違っていたという経験はないだろうか。
その土地のことをよく知っていて、事前に知識を入れてくると、見たものへの感心はその方へ
偏ってしまう。後で見たものを比較すると、その違いは歴然としている。

 私たちは今、同じ時代を生きている。この時代でさえ、その時代に生きたものでしか
感じられないものがある。恐らく、そう遠くない将来、こうした出来事の多くは風化して
しまうであろう。そして、その時には見えなかったものも、いずれ真実が見えてくるだろう。

 あの時代は何という時代だったのだろう。そう驚く時が来るに違いない。今はただ
今の時代を一生懸命生きるしかない。一喜一憂しても仕方のないことばかりである。
誰もどうすることも出来ないような時代に生きている。今を生きる、今を生ききるしか
ない時代なのである。

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