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人生いろは坂

地震雲 

2015年11月27日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



 天災と言われるものの中で、やはり気になるのは何と言っても地震のことだろう。世界各国からの
地震情報やその被害状況などを見るに付け、聞くに付け、思い出されるのは阪神淡路大震災のことや
4年前の東日本大震災のことである。

 日本は地震大国だ。たいていの大地震には慣れっこになっていて、被災者のことを気の毒にとは
思っても、自分のこととしては、なかなか受け取りにくいのも事実だ。

 しかし、頻発する各国や国内の地震情報、更には関東大震災や東海、東南海、南海などの巨大地震を
思うとき、ついつい次は我々の番ではないかと考えてしまう。

 地震は唐突にやってくる。と言っても実は何らかの予兆はあるはずで、実は気付かないだけなのでは
ないだろうか。

 過去の大地震を振り返っても、それなりに予見させるものはあったようだ。ネズミなどの挙動不審な
行動であったり、井戸の水が濁ったり、あるいは空や雲に異常現象が見られた等々である。

 こうした現象を宏観現象と言うらしい。しかし、いくら宏観現象が見られたとしても、それを感じる
私たちの感覚が鈍っていたり、あるいは、そういった現象に触れる機会を失っていたら何も分からない。

 先のブログにも書いたように、私たちの生活は自然現象から遠ざかっている。昔のあばらや住まいの
ように障子戸をあければ庭だと言うような生活であったなら、風の音も雨の音も、あるいは動物たちの
動きにも敏感になれたに違いない。

 過去の多くの記録が、大地震の前には家ネズミが集団でどこかへ逃げ出したと言うことが書き残されて
いる。しかし、近代的なビルやマンションのどこにネズミがいると言うのだろうか。井戸のなくなった
現代の生活で井戸の水の水位や濁りなど知りようもない。私たちの生活そのものが自然からますます遠ざかり
つつある。

 このように、私たちはあるものを得て、あるものを失ってしまった。あばら屋は簡単に崩壊してしまう。
しかし逃げ出すのは簡単だ。頑丈な高層マンションでは、逃げることさえままならない。そのマンション
でさえ巨大地震に耐えるとは限らない。ましてや昨今騒がれているように杭が岩盤に届いていないとしたら
どうだろ。

 私たちの生活の周辺で完璧なものは何もない。全ては運次第と言うことだろうか。そういう中にあって
「ええ」こんな人までもと言うくらい、空を見上げて地震雲のことを語るようになっている。しかし
実際に地震雲で地震を予知した人はいない。

 ただ、空に何らかの現象が現れるのは確かなようだ。それは空と地上が密接不可分に繋がっているからだ。
従って、地上部の異常は必ず空に現れる。ただ、その現象がどのようなものかは確かめられていない。
大地震があってから、そう言えばあの時に奇妙な現象が空に出ていたなあと言うくらいのものではない
だろうか。

 最近も盛んに海からの異常が報道されている。深海魚が盛んに網にかかるとか、鰯の大群が浜に押し
寄せた等々である。何か異常現象が進行しつつあることは間違いないようだ。くれぐれも心して準備して
おく方が良いかもしれない。

 しかし、何事によらず、全ては神のみぞ知る世界の出来事だ。誰が死んで誰が生き残るかなど誰も
分からない。

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