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独りディナー
スワヴェックとの再会
2015年09月07日
テーマ:旅
私が、主人の親友であるスワヴェックと、初めて出会ったのは1996年、ポーランドの首都ワルシャワである。
主人の海外出張に同行した最初の機会なので、特に印象が強い。
子供たちが高校生になって、何とか10日位の留守番ができるだろう、と思い切ってついて行ったのだった。
行く先は、ピアノを志す者にとっては特別の国、ショパンの祖国ポーランドである。
当時勤めていた音大を休んで行ったので、それなりにワルシャワ音楽院、ショパン・アカデミー等を訪れたり、準備にも力を入れた。
たしか、ポーランドで開催された講演会に、主人が特別セミナーをするため招かれていたのだったと思う。
初めて会ったスワヴェックは、講演会の開催中に、私が一人になるのを慮ってくれて、旧市街へ行く電車の乗り方を教えてくれたり、乗車券まで準備してくれた。
でも私は、もともと目的も定めずに一人で歩くのが趣味なので、願ったり叶ったりだったのだけど・・。
それから程なくして、主人もスワヴェックもそれぞれの国の代表として、国際学会の委員になったので、毎年場所こそ変われど、定例の会議で顔を合わせる様になった。
主人が委員になった際、非公式にだろうけれど、夫人が同伴できる人、という一言があったと聞いた。
その会議が、今年はホスト国となったポーランドで、スワヴェックが組織委員長を務めて、古都クラクフで開催されたのである。
スワヴェックにとっては、多分晴れ舞台だったといえるだろう。
約束のレストランへ向かうと、彼は事務局の人たちと打ち合わせ中だったけれど、タイトなスケジュールの合間に出会いの場所を設けてくれたのだ。
帰りの道を歩きながら、「家族のみんなは、元気かい?」と訊くので、
「娘が、この八月に結婚した」と答えると、「それは、おめでたい!」と、立ち止まってハグまでして喜んでくれたのは、嬉しかった。
かつて出会った頃、お互い二人の子持ちだったが、それが瞬く間にあちらの息子さんたちは結婚したばかりか、それぞれの家庭に双子が生まれて、いまや六人のお孫ちゃんに恵まれている。
何となく、「お前たちも、幸せなのか?」的な憂慮を、ずっとしてくれていたらしい。
今回私は、同伴者達のための「レディース・プログラム」には余り参加しなかった。
最終回の前日、ディナー・パーティの席で、「明日の市内見物は、自分も時間ができたので同行するけど、参加するかい?」と聞きに来た。
私は「明日は、参加しないつもりだけど・・」と答えると、「疲れちゃった?」と言って、残念そうな様子だったので、主催者に対して悪いことをしたかなと反省した。
私が、「あなたはとっても忙しい筈なのに、凄いエネルギーだね」というと、「いや、秘書が本当によくやってくれたから・・」と実に周りに配慮する答えが戻ってきた。
しかも、後で市内見物に参加した人に尋ねてみたら、スワヴェックは姿を見せていなかったらしいので、どうやらあの誘いは、有難くも私に対する饗応だった様であった。
思えば、写真好きの彼は、いつも国際会議の終わり頃に計画される市内見物に参加して、たくさん私たちの写真を撮ってくれるのが常だったのだ。
何故か彼と主人は気が合って、滅多に人を褒めない主人も、スワヴェックの事は信頼している様子である。
20年くらい前に、スワヴェックが中心となって立ち上げた、東ヨーロッパ中心の国際会議にも、主人が参加するときは、ポーランド経由で行く事が多い。
まず、北東部にある彼の別荘に寄って、そこで友人たちのディナーにお邪魔したりもする。
其処から、車二台或いは三台連ねて、バルト三国の国々などへ、何度も出かけたものだ。
彼のお蔭で、私たちのヨーロッパ滞在が、どれだけ地元の人達に密着した、楽しいものになっているか、計り知れない。
主人の話によれば、今回の会議の最終日には、出席者全員が主催者のスワヴェックに対して、感謝の拍手を送り、暫くはその拍手が鳴りやまなかったそうである。
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レディーファーストは、好きです。
吾喰楽さん、コメントありがとうございました。
スワヴェックが、初めて我が家に来たとき。
当然の様に靴のまま入ってくる大きな姿を見て、「わー、外人だぁ」と思いました。
見た目は勿論西洋人ですが、普段話していて感覚的には余り違和感がないもので・・。
でも、私なんかの話相手をしてくれるのは、レディーファースト精神の外人だからかも知れませんが・・。
2015/09/07 14:22:05
スワヴェックさん
おはようございます。
スワヴェックさんの人柄が、にじみ出ているブログですね。
ご主人も、国を越え、素晴らしい友人がいらして幸せです。
もっとも、ご主人が素晴らしい人だからこそ、素晴らしい方と友人になられたのかもしれませんが。
2015/09/07 07:46:47