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独りディナー
自分の席
2015年06月12日
テーマ:思い出すままに
先日、教会でピアノを演奏した。
ここ一年くらい、月に一度位は礼拝に参加しているのだけれど、信者でもない自分はいつも、何となくお邪魔させて戴いている気持ちが強い。
ところが、演奏を頼まれてリハーサルで教会へ行った時は、気持ちが全然違った。
自分の席がある、といった感覚だろうか・・。
それで思い出した、30年以上前の記憶。
家族四人で、アメリカの小さな大学街に住んだ事がある。
その頃は結婚をしてまだ二年数か月しかたっていなかったし、扶養家族意識も薄かったのだと思う。
まず、大学の事務室で、「Mrs.○○」と声をかけられて、戸惑った。
主人は、出かけて行くオフィスがあるのに、私には所属する場所がない。
主人の妻である、という只それだけだった。
アイビー・リーグの一つである大学は、キャンパスがそれは美しく、おぼつかない英語を使いながら、乳母車に年子の赤ん坊を乗せて、それなりに闊歩してはいた。
アメリカの中では歴史のある古い町なので、車社会以前に作られた街並みは、一応歩いて生活ができたのだ。
見知らぬ街に暮らすのは、刺激的で楽しい。
しかも、留学時代と違って、その時は家族の一員だから、責任もない。
しかし、人間とは欲望が尽きないらしく、責任のない我が存在に、どこか不安定な気持ちがあった。
そんな時、「フレンズ・オブ・ミュージック」という団体の主催で、ピアノリサイタルが開けることになった。
その由緒ある大学には、音楽学部もあった。
その団体は、音楽学部内のホールで演奏会を開催しているらしく、その出演者を決めるオーディションがあるという情報を、周りの人たちが教えてくれたのだ。
そして、晴れて演奏会が決まった。
その時のことだ。
リハーサルで一人、会場へ足を運んだ道すがら。
文字通り浮き立つような気分だった、その気持ちは今でもはっきり思い出すことができる。
それは、この街にもやっと、Mrs.○○としてではなく、「私」という存在の席ができたのだ、という実感だったのだ。
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マリーさんの写真
マリーさん、コメントありがとうございました。
マリーさんのブログに、「お料理の写真は私には毒」と書いてしまいましたが、あのような失礼な表現は、日本語を忘れかけた第一歩かもしれません。
いつも、素敵なお写真で食欲がそそられて「目の毒(!)」ではありますけれど、とてもリアリティがあります。これからもどんどん載せてくださいませ。
2015/06/13 06:52:45
人は皆
学生であれば○○学校の生徒になるし、社会に出ればお勤めをして自分の居場所を見つけます。
何かに所属していないととても不安にかかられますので、リタイア後は色々な団体に所属しました。
仰るように人というのは私という存在の席を欲しがるものではないでしょうか。
2015/06/12 13:49:11
偏った人生です
吾喰楽さん、早速コメントありがとうございました。
そうですね。私にとってのアイデンティティーかもしれません。人生の大半は、ピアノ関連に費やしました。非常に偏った人生ですが、今となっては、それもまた面白かったとは思っています。
厳しい世界ですから、「天才とは努力しうる才能」なんて嘘っぱちだと、嘆いたことが幾度あったかしれません。
でも、「これぞ、天才!」と感服できる人を、垣間見ることができたのは素晴らしい経験だと思っています。
2015/06/12 10:27:01
ピアノ
おはようございます。
ブログを拝見し、シシーマニアさんの人生におけるピアノの存在の大きさを、改めて感じました。
そして、それは、この先も続くはずです。
生涯を通じ、それだけ打ち込めるものがあることは、実に素晴らしいことだと思います。
私には、それに相当するものがありません。
2015/06/12 08:58:24