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ショパンを弾くには、幸せ過ぎる? 

2015年05月19日 ナビトモブログ記事
テーマ:シニアライフ

娘がある時私に言った。

「お母さんは、ショパンを弾くには幸せ過ぎるんじゃない・・?」

まあ、幸せだと娘に言われた事は良しとしよう。

しかし、およそ音楽に縁のない娘が、何を又?

訊いてみると、夜に残業しながら会社でネット配信の音楽を聴いていたそうだ(どんな残業だ、というのは置いといて)

その時、フジ子ヘミングのショパンが聞こえてきて、感動の余り涙が出たそうである。

真面目な私は即、その演奏を聴かせてもらった。

スピーカーで、娘と一緒に。


聞き終って私が、まあ、おどけて言った。

「うん?別に、普通じゃん。」

「そうだね、何故だろう・・」

結局、夜中に一人、というシチュエーションが、感動を呼び込んだのだろう、と二人で勝手に決めつけたのだったが・・。


何故、思い出したのか。

月末に本番があるのだが、練習すればする程、己の未熟さに唖然とさせられているから?

今弾いているのは、ショパンのノクターン遺作。

この曲は、10年位前にリサイタルのアンコールで初めて弾いた。

映画「戦場のピアニスト」でブレイクした曲である。


その頃、親しくしていた従妹が癌で亡くなったばかりであった。

何故か、この曲を練習すると、その従妹が部屋の中にいる様な気持ちを味わった。

いつも彼女に聴かせている。

悲しみが指先に伝わって、それが音になってきこえてくる様な、そんな気分だった。

それが、演奏会が終わってから、従妹の気配がしなくなったのだ。

自分の中で、従妹を追悼したつもりになっていたのだと思う。


今回も、本番を前にすると自分の矮小さに直面する。

普段、教師然として、模範奏などしている自分に、冷水を被せられた様な、自省に陥るのだ。

幸せ過ぎる、等と言う抽象的な言葉に逃げ込みたくもないし・・。

毎回の事だけど。

本番というのは、何故こうも自分の耳を研ぎ澄ましてくれるのか。

普段の怠惰な生活を、戒めてくれるという事かな。



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欠けているのは勇気だ、とも言われます

シシーマニアさん

パトラッシュ師匠。コメントありがとうございます。

>切羽詰って、煮詰まったものが、意外にも快作であった・・。

長年の癖で追いこんでいると思っていましたが、どうやら私だけの特技(?)でもなさそうですね。
直前の時間の凝縮が、日常的にならない不思議さは、凡人たる所以でしょうけれど。

2015/05/19 21:38:59

凝縮

パトラッシュさん

> 矮小さに直面する
> 自省に陥る

これで良いのだと思います。
(一握りの天才を除いて)

切羽詰って、煮詰まったものが、意外にも快作であった・・・
なんてことも、なくはないです。
それどころか、むしろ多いのが、不思議です。
追い込まれて、必死になる。
その結果、意外な力が出た。
ということでしょうね、きっと。

あ、これ、決してシシーマニアさんに、追い込まれることを、
お勧めしているわけではありません。
それはやはり、ゆとりを持って、当日を迎えられるに、
越したことはないわけでして・・・

2015/05/19 19:07:04

感動よ、もう一度、という感じです

シシーマニアさん

Reiさん、コメントありがとうございます。

あの曲は、今までに何度も弾いているのですが、以前に弾いた曲というのが、曲者です。
何となく過去の経験をたどろうとしてしまいがちなのです。
中々、新規に勉強する様な訳に行かなくて、感動よもう一度、という新鮮味のないアプローチになってしまい、不満ばかり残ります。大抵は数日前になると凝縮するのですが、切羽詰まらないと煮詰まらないのは、やはり才能の欠如ですね。

2015/05/19 16:30:49

あの曲を

Reiさん

弾かれるのですね…いつかは弾きたいと思っている曲です。
忙しさにかまけて、まだ楽譜も手に入れていません(≧∇≦)

娘さんの「ショパンを弾くには、幸せ過ぎる」という発言の意味は、わからなくはありません。
ショパンの生涯を思うと、あのせつないメロディーは、幸せいっぱいの気持ちでは不釣り合いなのでしょうか…

聴いてみたいです。
シシーマニアさんのノクターン。
いつか機会があることを期待しています。

2015/05/19 14:03:06

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