メニュー

最新の記事

一覧を見る>>

テーマ

カレンダー

月別

パトラッシュが駆ける!

三遊亭圓生のこと 

2015年05月16日 ナビトモブログ記事
テーマ:テーマ無し

「二本差しが怖くって、焼き豆腐が食えるかー、 
気のきいた鰻を見ろー、五本も六本も刺してらー」
江戸の町人は、威勢がいい。
時には、お侍に対してさえ、面罵する。

「な、なにを申すか」
「お前、そんな鰻を食ったことが、あるかってんだー」
落語に登場する人物の多くは、愚かであり、その愚かさを逆手に、
この世を押し渡っている。

「とぼけた事を申すな。わしはただ・・・」
「追いはぎがしたいってか? それとも試し斬りか? 
さあ斬りゃあがれ。斬って赤え血が出なかったら、
取りけえてやる。このスイカ野郎」

権威と言うものを、虚仮にする。
聴衆にとって、これほどの痛快事はない。
愚者の反抗に、胸のすくような、共感を抱いている。

相手は酔っぱらいだ。
侍は無視して、立ち去ろうとする。
それで別れれば無事だったのに、そこが愚者だ。
すれ違いざまに、痰を吐きかけた。
それが武士の紋服に、べちゃっとかかったから、たまらない。
侍の形相が変わった。

「おのれっ、 わしへの侮辱だけならまだしも、殿より拝領した紋服を・・・よくも・・・」
刀の柄に、手が掛かったと見るや「えいやっ」と、目にも止まらぬ早業。
そして、何事もなかったように、鞘に納め、すたすたと去ってしまった。

そこからが、この噺の見せ場だ。
首を切断されたことに、まだ気付かない八五郎。
「どうも具合がよくねえな」
ともすれば、ずり落ちそうになる首を、手で押さえつつ、
繰り言を言う。
落語は話芸でありながら、時にその無言の時間にこそ、至芸が見える。

 * * *

演じるのが、三遊亭圓生。
昭和の大名人と謳われた、噺家の一人だ。
もちろん、とうに故人である。
落語だって、芝居や音楽と同じく、出来ることならライブがいい。
高座で語る姿を、眺めるのがいい。
しかし大名人は、もうこの世に居ないのだから、仕方ない。

志ん生、文楽、小さん(先代)、談志、志ん朝なども同じ、
私の好きな噺家は、皆死んでしまった。
もうその芸に、まみえることは出来ない。
やむを得ず、映画で見ている。
「昭和の名人」は、シリーズになっていて、これが公開されるたびに、私は映画館に行く。
既にして、シリーズ「その八」である。

これが芸の力と言うやつだろう。
いずれも、映画を見ているという気がしない。
噺に引き込まれる。
毎度のことながら、終ると、手を叩きそうになっている。
周囲を見回し、ああそうか、ここは映画館であったと、気付くことになる。

現存する「平成の噺家」と鬼籍に入った「昭和の名人」。
どちらが上手であかったか・・・
相撲や野球でも、しばしば話題になることだ。
横綱白鵬対昔の大鵬・・・
マー君、ダルビッシュVS,金田や稲尾・・・
どっちが強いか、どっちが豪腕か、というようなものだ。
私は、あながち懐旧の念ばかりでなく「昭和の名人」の方の、肩を持ちたいと思っている。

 * * *

昭和四十三年、圓生が六十八歳の時の高座だそうだ。
噺家にとり、正に円熟期であったろう。
その芸の巧みさには、ただただ、舌を巻く他はない。

高座で演じる姿は、穏やかだが、圓生のその性格は、
狷介であり、固陋であったようだ。
人の好き嫌いが、甚だしかったと伝えられている。
そして、一旦曲がった臍は、容易に元に戻らない。
こう言う依怙地な人が、業界のトップに立つと、どうなるか。
協調や融和より、おのれの価値を優先させる。

そこに、軋轢の生じないわけがない。
それが、昭和五十三年の、真打大量昇進問題に端を発する、
落語協会分裂騒動へとエスカレートした。
芸道に厳しく、実力を重視する圓生にとって、
真打は厳選されなければならず、商業主義による、粗製乱造は、
その権威を歪める、自殺行為と見たのであろう。

かつてその門下であった、さん生は、その分裂騒動の際、
師匠と行を共にせず、その後に、破門されている。
芸名も返せと迫られ、仕方なく
「川柳川柳(かわやなぎ せんりゅう)」と改名した。

その一部始終を、話に作り、高座にかけているのを、聞いたことがある。
新宿の末広亭であった。
本当は、恨みつらみを言いたいであろうに、そこはさすがに、
落語家だ。
さらりと笑いに転化させ、かつての師を、罵倒するようなこともない。

圓生はまた、吝嗇であったらしい。
そして他を批判することが、多かった。
新作落語が嫌いであり、当然のように、先代の林家三平などを、酷評し、痛罵していた。
「あんなものは、落語じゃねえ」
言われた方だって、面白くもないだろう。

それらが、協会の分裂時にも、反作用となって現れる。
結局、圓生一門は孤立し、止むなく立ち上げた
「落語三遊協会」も、商業主義を代表する、寄席の席亭連から閉め出され、活動の場を狭められる。

その不遇の中、圓生は死んだ。
昭和五十四年、七十九歳であった。
不本意な晩年であったろう。
その十数年後に、後輩の柳家小さんが、人間国宝になっている。
さらに翌年、上方の桂米朝までもが、同じ栄誉に浴している。

自我の強い、圓生のことだ。
落語界の第一人者をもって、任じていたはずだ。
このニュースには、泉下において、歯噛みしたに違いない。
「畜生、生きていたら・・・」
俺だってと、思ったに違いない。
「いってえ、人間国宝たあ、どういう基準で選ばれるんだー」
叫びたかったに違いない。

そう言う、強烈な個性の持ち主が、名人上手になる。
毒舌を吐きまくっていた、談志もそうだ。
穏当温和な人間性からは、異才は生まれにくい。
そう考えると、噺家の放埓さも、笑って眺められる。

シネマ落語を見ながら、圓生の穏やかな顔の裏にある、激しさを想像している。
落語家は、喋っていない、その無言の時にこそ、その顔が真実を語っている。



拍手する


コメントをするにはログインが必要です

普通の人間

パトラッシュさん

彩々さん、
何時もながら、洒落た夕食をやってますね。
燻製品入りパスタなんて、聞いただけで、涎が垂れそうです。

落語には、怖い話が結構あります。
怪談ものです。
でも、これらも結局は、楽しいのです。
一度、お聞きになったら、いかがでしょう。
吾喰楽さんに頼めば、連れて行ってくれますよ。

圓生も志ん生も、怖い顔の時は、本当に怖いです。
でも、その怖い顔が、人を笑わせるのです。
このギャップが、またいいのです。
(結局、なんでも褒めてる)(笑)

名人上手と謳われながら、彼らもまた、ごく普通の感情を持った、人間なのですね。
一旦争いが起きると、なまじ名人だけに、振り上げた拳が、下ろせなくなるのでしょう、きっと。
聖人君子でなくて、よかった。
さらに彼らに、親しみがわきました。

2015/05/20 19:59:29

失礼ながら…

彩々さん

また、出遅れてしまいました><;

おまけに夕食(手作り燻製品入りパスタ)を
食べながら、師匠のBlogを小粋なおつまみに
しながらで…、大変、失礼しました。

圓生さんのお噺、やっぱり、さすがですね。
ちょっと恐い噺でしたが、最後に笑ってしまう。
う〜ん、落語の奥深さも、なるほど・でした!

圓生さんも志ん生さんも、子供の時は
恐い顔しているので(二面性がありそうで)
嫌いでした。
こうして大人に(成り過ぎ)なると、
男の顔として、なかなかのものだと
解ります。
落語会も分裂があったりして、芸の世界も
組織と考えると、当たり前のように色々、
有るのですね。

2015/05/20 18:41:11

パトラッシュさん

シシーマニアさん、
圓生も志ん生も、その素顔がよかったです。
沈黙している、その時の顔に、何とも言えない味がありました。
その顔に会いたいばかりに、私は、シネマ落語に通っています。

入手できましたら、どうぞ、圓生の噺を聞いてみて下さい。

2015/05/19 18:01:57

壮絶な人生だったのですね

シシーマニアさん

>落語家は、喋っていない、その
無言の時にこそ、その顔が真実を語っている。

歌舞伎でも、演奏家でも、演じる者達は同じですね。

圓生の落語は聞いたことがありませんが、落語家の中では群を抜いてイケメン、という記憶があります。

DVDを探して、映像で圓生の落語が聴きたくなりました

2015/05/18 23:59:03

凡夫であります

パトラッシュさん

うきふねさん、
何をおっしゃいますか、私もまた、粗忽長屋の一員みたいなものです。
ヒマさえあれば、飲んだくれて、おだを上げ・・・
話芸では、人を笑わせられないので、書くことで、なんとか、人様を笑わせられたらと、そればかりを考えています。

2015/05/17 07:14:27

おはようさんです♪

うきふねさん

面白くって、引き込まれてしまいました。おバカな町人の威勢良さに大笑いです。
最近、恐れ多くてコメントが出来なくなりましたよ。してますけど(^o^)

2015/05/17 06:44:46

お褒め頂いて恐縮です

パトラッシュさん

ばばたまさん、
笑点のファン、それも結婚以来となると、ベテランのファンですね。
あれも、理屈を抜きに、楽しめますね。

私の文は、少々長いのが欠点です。
書きたいことを、つい連ねてしまうので・・・
さらに、研鑽を積みたいと思っております。

2015/05/16 21:02:08

日曜日5時半?

さん

結婚して初めて夫の実家に行ったときに、出会ったのが笑点でした。
その時はこんな番組お初と思って見向きもしなかったのに、今は毎週見てるんですねぇ。落語ではないんだけど。お腹を抱えて笑えるんですね。
パトさんのブログも退屈せずに一気に最後まで読める面白さありますね。素晴らしいと思います。

2015/05/16 19:25:11

落語は楽しいだけで良いのです」

パトラッシュさん

喜美さん、
落語に理屈は要りません。
ただ、ぼんやりと、聞いているだけでいいのです。
そこに、小賢しいこを持ち込む、私の方が、粋じゃないのです。

たまにお聞きになりませんか。
今は、DVDなどでも、居ながらにして、昔の噺が聞けるようですから。

2015/05/16 16:33:04

落語

喜美さん

私は唯単に落語好きでした
昔からよく聞きました(ラジオのころから)今考えてパトさんの読ませて頂くと 私は何聞いていたのか見ていたのかと 唯昔を懐かしく思い出すくらいです ブログ書いていられる方皆さん頭いいのね 唯驚きます
私の奥の奥の記憶を甦らせて頂いたこと感謝です

2015/05/16 14:52:04

心が・・・

パトラッシュさん

Reiさん、
落伍しないで、私達に付き合って下さい。

落語を聞いていると、きっと良いことがあります。
人間の幅が広がります。
いえ、ご心配なく。
肉体の幅ではなく、こころの幅ですから。

2015/05/16 11:44:19

落語家は・・・

パトラッシュさん

吾喰楽さん、
先代の小さんは、大したものでした。
(人間国宝になったから・・・というわけではなく)
現在の小さんが、物足らなく見えるのも、無理からぬところです。

圓生、志ん生の、満州巡業では、おっしゃるように、いろいろあったようで・・・
圓生は、本妻がありながら、重婚まがいのことをしていたようで・・・

先に帰国した圓生を、残された志ん生は
「あの野郎、殺してやろうか」とまで、罵ったとか。

落語家と言えども、それは芸の上のことだけ。
人格識見が優れているわけではなく、それどころか、
世間にざらに居る、凡夫とまったく変わらないのだなあと、妙に納得したりしています。

そうそう「シネマ落語」は、銀座の東劇において、上映中でしたが、今調べて見たら、既に終了しているようです。
(今は、シネマ歌舞伎をやっています)
もっと早くに、お知らせすればよかったですね。

2015/05/16 11:36:37

寄席へのお誘い

パトラッシュさん

SOYOKAZEさん、
落語を聞くのも、芝居を見るのも、私にとっては、
楽しい娯楽ですが、一方で実は、物を書くに際しての、
肥やしになっていると、そんなような気もするのです。
一言で言えば、人間の幅を広げるという意味で。
肉体にとって、ぜい肉は邪魔ですが、
心に蓄積したそれは、何時か必ず役立つ時が来るのでは・・・と。
機会がありましたら、ぜひ、寄席へも行って見て下さい。

2015/05/16 11:18:12

さすが!

Reiさん

落語をよく知らない私にも分かりやすく、興味がもてる内容ですね。
ぜひ、聞いてみたくなりました。
皆さんの落語ブームに落伍?しないように(^_^;)

2015/05/16 09:42:43

昭和の名人

吾喰楽さん

おはようございます。

志ん生、文楽、圓生は、個人的な第一次落語ブーム時代の大ファンです。
中でも、圓生が一番好きでした。
三人の中では、中間的な芸風だと思います。

落語協会分裂騒動をテーマに伯楽師匠が書いた、「小説 落語協団騒動記」は、面白かったですよ。
今、川柳師匠の「寄席爆笑王 ガーコン落語一代記」を読んでいる最中です。

ところで、「博打の志ん生、女の圓生」と云われたそうですね。
二人で行った満州巡業で、色々、あったとか。

「昭和の名人」、観たいですね〜

2015/05/16 09:14:58

上手い!

さん

パトラッシュ師匠 おはようございます。

さすが師匠!
冒頭の落語の一幕から、興味をぐっと引き寄せてくれました。
「面白い!」
そして、圓生の人となりと芸、落語協会の内幕と、話しを広げて行く。

門外漢にも、とてもわかりやすく、興味を惹く書き方に感服です。

昭和の名人の話しが聞きたくなりました。

2015/05/16 09:06:25

PR





上部へ