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独りディナー
それぞれの処世術
2015年02月21日
テーマ:カナダ
私は、二人の子供しか育てていないけれど、個体差というのはとても面白い経験だった。
娘は小さい時から気が小さくて、何か話しかけられてもまず答えるのに躊躇するタイプ。
一歳半で、米国生活を始めたという、そのストレスも大きかったであろう。
その頃、まず娘の口から出てくる言葉は「ノー」だった。
当時話題になっていた、石原慎太郎と盛田昭夫両氏の著書にあやかって、「NOと言える日本人」と、私が密かに名づけたりしていた位に。
毎朝、「パパを起こしてきて・・」と娘に頼むと、パパっ子だったから「うん」と嬉しそうに答えて、はりきって階段を上って行く。
でも、いざとなると部屋に入る勇気がなくて、いつも主人に「おや、ドアの陰に誰か隠れている人が居るぞ。誰かなあ・・」と誘いかけられて、やっと顔を出していたらしい。
その点、一歳下の息子は、お姉ちゃんを見て育っているし、性格も元気がよくて、パパ起こしの役を頼むと、とんとんと階段を上り、バッターンとドアを開けて「パパ、オッキ!」と大声を出して叫ぶのだった。
日本に戻ってから数年後、娘が9歳息子が8歳の時に、カナダの首都オタワで一年間を過ごした。
幼少期に過ごしたアメリカの記憶は、二人から既に消え去っていたから、英語が全くわからない状態で、公立小学校へ通い始めた。
オタワは首都なので、市内には外交官等海外から移り住んできていた家族が多く、子供たちの通う小学校には、日本人も数人居た。
息子のクラスには、サトコちゃんという女の子が居たし、娘のクラスにはデンマークから越してきたばかりのパネラという女の子がいた。
娘たちは、最初は言葉も通じないながら、同じ境遇で寄り添い、たちまち親友になった。
生活を始めて二週間ほど経ったころ、娘が「お母さん、ドン・チュー・ダ ってどんな意味かわかる?」と訊いてきた。
「えっ?どんな時に聞いたの?」と訊きかえすと、
「学校の食堂へ行った時、入口に皆が並んでいたんだけどね。パネラと横入りしたら、男の子に、ドン・チュー・ダって、言われたの・・」
それは勿論、Don't you that という意味だっただろう。
そしてそれからが私の、親として情けない処なのだが。
「横入りなんてしちゃ、駄目じゃない」と諌める前に、この子はいつから、そんなにたくましくなったのだろう、と感動してしまったのだ。
いずれにしろ、娘の方は一年の間にそれなりに英語にも親しみ、異文化の中にも自然に溶け込んでいった。
或るとき、パネラの家へ一人で遊びに行って、帰りのバスを待っている処を、私が車の中から見かけた(通り過ぎた・・)事がある。
客観的に眺めた娘の表情は、見慣れぬ日系人の少女の様な印象だった。
いずれにしろ、其の一年間は、娘の人格づくりに大きく影響したと思う。
息子のクラスには、海外暮らしの長いサトコちゃんが居たので、先生も友達も、ちょっと話が込み入ってくるとその子に通訳を頼む、というシステが出来上がっていたらしい。
息子も、苦労して英語を覚えるよりも、仲良くなった友達に、逆に日本語を教えて愉しんでいた様子だった。
遊んでいて転んだりすると、友達が「ダイジョーブ、デスカ?」と訊いてきたり・・。
或るとき息子が、何処で覚えたものか「オッパイ、モミタイデス」と、教えたのだそうだ。
難しい日本語なので、皆がサトコちゃんに通訳して貰った結果、クラスの男の子達にすっかり浸透してしまったとか。
かなり経ってから、違うクラスの男の子に、「オオ。オッペ、モメターデッタ」といった様な、かなりデフォルメされてしまった言葉で、親しげに握手されたのには驚いたと言っていた。
きっとそれは、訳も分からず英語社会に放り込まれた、息子の処世術だったのだろう。
そして情けない母親は、それを諌める前に、子供と一緒に大笑いしてしまうのだ。
後述*
言葉の選択に、不適切なところもありますが、お目こぼし下さい。
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嬉しい表現、ありがとうございます
Reiさん、こんにちは。
雑な母親を「おおらか」と表現して下さって、ありがとうございます!
お宅も、やはり個人差が大きいのですね。側で見ていると、面白いですよね。
おっしゃる通り、私も幸せを願うばかりです。
2015/02/21 16:28:06
お墨付きですね。
喜美さん、こんにちは。
コメントありがとうございました。
喜美さんのお墨付きが付いて、百人力の気分です。
私は母親として、子供を育てたというよりは、横で笑わせて貰った、という気がします。自分一人では味わえない笑いを、沢山実感した思いです。
きっと、喜美さんのお孫さんも、おばあちゃま個人では味わえない楽しみを、プレゼントしたのでしょうね。
2015/02/21 16:24:17
海外での子育て
色々難しいこともあると思いますが、親子で貴重な経験をされましたね。
シシーマニアさんの子育ては、おおらかでとてもいいと思います。
我が家もしっかり物のお姉ちゃんと甘ったれの弟…同じ親から生まれたの!?と思う程違います(^_^;)
今は、それぞれの道で幸せになってくれたらと願うばかりです。
2015/02/21 14:26:39
其れでいい
子供の事ですもの
笑い飛ばす事がいいのよ
日本でもスカート捲りとか 何かと
段々其れを過ぎて大人になるでしょうし わかっていたらそんな事はいえないし やらないでしょう
お宅のお子さんは海外生活で色々知識多くなりましたね
2015/02/21 11:40:25
人間観察は、面白いですね
吾喰楽さん、コメントありがとうございます。
子供の性格は、成人しても基本的に変わらないものですね。久々に会う友人を見ても、人間は大きく変化しないものだなあ、とよく思います。
2015/02/21 11:00:09
大笑い
おはようございます。
>「オオ。オッペ、モメターデッタ」
朝から笑わせて貰いました。
諌める前に笑うのは、やむを得ませんよ。
でも、二人のお子さんは、異国の地で逞しく育ったようですね。
2015/02/21 08:33:57