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独りディナー
従弟の奥さん
2015年01月06日
テーマ:思い出すままに
一歳下の従弟が結婚したのは、40歳近かったかもしれない。
小さな頃から本ばかり読んでいる、いわゆる草食系男子で、義叔父に似て口数も少なかった。
やはり本好きながら、口数の多い叔母と私は、昔から親密で、私はよく叔母の家に泊まりにいった。
二歳下の弟や、更に二歳下の従妹を交えて、私達4人はいつもコロコロと子犬がじゃれ合う様にして育ってきたらしい。
それぞれが、各々の道を進んでいったけれど、その後も主に叔母を通して、従弟妹達との交流は比較的密につながっていた。
従弟は京都大学に進み、学生運動で活動中に、数日ながら「くさいメシ」も経験したという反体制派で、思想的にはかなり左寄りの私にとって、どこか信頼できる相手であった。
私が留学していた頃は、時々読むのが困難なほど超ユニークな手紙をくれて、私の方もヴィスコンティの「ベニスに死す」などの映画を見ては、主人公が魅入られてしまう美少年の表情に、従弟の面影を重ねて、その旨を報告したり、遠距離交流は続いていた。
お互いに独身の頃(私も、長かったし)には、行きつけのバーに連れて行ってくれたこともあった。
一応は本好きだったものの、途中から音楽の道にそれた私と違って、向こうは大学も文学部に進み、当時K書店で辞書(辞典かな・・?)作りをしていたという、生粋の文学畑の人間であった。
余り話は、かみ合わなかった気がする。
或るとき、結婚式でオルガンを弾いてほしいと依頼された。
従姉弟の中で私だけを招待してくれた、一つの口実でもあったらしい。
初めて会った従弟の奥さんは、私と同い年で、チャキチャキ程ではないにしろ、江戸っ子風の外交的な人で、式の後のお食事会でも彼女が中心になって皆をもてなしていた。
従弟は子供の頃からお勉強ができて、周りはちょっと遠慮している様な処があったけれど、彼女はむしろ年下の弟を支えてでもいるかの様な行動力で、横にいた従弟も幸せそうだった。
そして、4年前。
従弟が、急死した。
病院に運ばれて、数日後のことだったらしい。
私は、突然のことでショックを受け、知らせをくれた叔母に詳細は訊けなかった。
「実感が無い」、という自然の贈り物のお蔭で、叔母はごく普通に話していたけれど、私は取りあえず葬儀の場所と時間だけ聞いて電話を切り、上京の準備を始めた。
翌日は、当時教えていた大学の門下生が、選抜されて披露演奏会に出場する日だったけれど、本人はじめ招待していた人たちにお詫びの連絡をした。
お通夜の日、私は直接教えられた場所へ向ったので、まだ誰も着いていなかった。
暫く待っていると、叔母と従妹と、従弟の奥さんが到着した。
従弟は既に、棺に入って葬儀場で私達を待っていた。
四人で、暫く従弟を眺めていると、奥さんが思わず、という感じで言った。
「本当に、品の良い人でした・・」
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