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独りディナー
赤毛のアンの国
2014年12月26日
テーマ:思い出すままに
長女が9歳、長男が8歳の時、主人の仕事で一年間カナダに住んだ。
出かける前に、父親は子供たちに「赤毛のアンの国に住んでみようか・・」と言った。その小説がちょうど、アニメ番組で放映中だった為、子供達にもおなじみの響きだったからだ。私にとっては、これでプリンス・エドワード島への旅が保証されたかな、とわくわくした。
10月にカナダの首都オタワに転居して、まずは長〜い冬が続いた。毎日、最低気温がマイナス10度を超え、最高でもマイナス8度、なんていう日が続いたのだ。
オタワの中心部を流れている運河、「リドーカナル」は、冬には全面凍結してしまい、世界一長いスケートリンクとなる。全長8キロ弱位。地元の人たちは、リュックサックを背負ってスケート通勤していたり、赤ちゃんを乗せたバギーを押しながら、すいすいと滑る若い女性もいて、それらは一つの風物詩になっていた。
長い冬の後に来る北国の春は、街中にうきうきした気分が漂う。こんなにも人が住んでいたのかと疑うばかりに、どっと人々が屋外に現れるのだ。
私たちも、まずはナイアガラの滝へ車で出掛ける事にした。オタワからは、一泊で戻れる距離だ。ここは数年前アメリカに住んでいた頃に訪れたことがあり、その言語を絶する滝のダイナミックさに深い感銘を受けていた。前情報なしに出会った人の驚きは、いかばかりであったろう。
ナイアガラはカナダの方からの眺めが有名だが、その時はアメリカ側から「霧の乙女号」という船に乗って滝のすぐ近くへ行った。滝の下は凄まじい水しぶきで、船上でカッパを貸してくれた位だった。
当時はまだ、よちよち歩きだった子供たちに記憶はないし、私も改めてカナダ側からも見てみたいとも思った。
アメリカには、世界的な観光地がたくさんあるけれど、カナダではきっと、ナイアガラは有数な名所なのであろう。それとも国民性なのか。滝の近くには、ホテルやレストランが並び、お土産屋さんやゲームセンター等の、どぎついカラーのネオンが光っていた。
「霧の乙女号」の乗り場はカナダ側にもあって、そこにはかなりの列が続いていた。ふと、対岸のアメリカ側に目を向けると、そちらには余り人影がみえなかったので、急に思い立って国境になっているレインボーブリッジを渡り、アメリカへ行った。
大きな河を隔てると、気候が違ったりするものだが、ナイアガラ川の南にあたるアメリカに着くと、太陽の日差しが急に明るくなった気がした。駐車場も広々としていたし、観光船にもすぐ乗れた。
滝の落下地点は、急激な水流のため一年に60センチメートルだったか後退していく、と本で読んだ事がある。そう思って眺めると、以前に見た場所は大分変化していて、新しく立ち入り禁止のチェーンが張りめぐらされている所もあった。主人は以前に撮った場所を思い出して、再度カメラに収め、帰国してから二枚の写真をアルバムに並べて貼っていた。
ゆったりとしたアメリカから、そのまま戻る気にもなれず、その晩は近くのモーテルに宿をとった。そして、西部劇にでも出てきそうな、地元のレストランへ行った。
入口に近いカウンターの向かい側に、ゲーム機が数台並んでいて、子供たちの興味は、すぐそちらに向かう。25セント硬貨を入れると、一回ゲームができるシステムだ。
「遊んでも良い?」と訊く子供たちに、「自分でできるなら・・」と答えると、二人は嬉々として飛んで行った。カウンターに腰かけている常連らしい客が、アルコールを飲みながら、それを見るともなしに眺めている。地元の人だろうか、カウボーイ・ハットでも似合いそうな雰囲気だ
カナダコインを入れても通用しなかったらしく、カウンター内のおばさんに交換して欲しいと頼んでいる様子だ。クォーターと呼ばれる二つの国の25セント硬貨は、一見似ているがレートが違うので、米国硬貨はカナダで通用するが、カナダ硬貨はそうはいかない。
国境沿いのレストランで、そんなことはよく承知のおばさんが、何度もゲーム機との間を往復する子供たちに、優しく対応してくれたのだった。
まあ、レートに関する思い出は期間限定もので、まだその頃は、東西ドイツが分割されていて、ベルリンの壁も健在だった、遠い昔の話だけれど・・。
翌日も、良いお天気だったので、セント・ローレンス河沿いに、米国サイドの道を走った。オタワはそこから北東方面に位置するので、ぎりぎり地点までアメリカを満喫した挙句、小さな国境を通過した。
「米国内で買い物したものはありませんか?」と中年女性の審査官に型どおりに質問されて、主人と私が半日を振り返っていると、すぐさま「オーケー、サンキュー」と、笑いながら言われた。それは、後ろの席から娘が身を乗り出して、マクドナルドで買った小さなキャラクターを差し出していたからだった。
カナダの生活も数か月過ぎて、子供たちが少しずつ英語になじみ始めた頃の、思い出である。
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カナダとアメリカ
喜美さんへ
ナイアガラ行は、アメリカ旅行の一部としてカナダに渡られましたか?、それとも、カナダ旅行をなさいましたか?
私の印象では、カナダは英連邦の一員ですし、どちらかというと保守的な国という気がしました。アメリカでは、独立戦争で自ら築いた祖国という誇りを、随所に感じました。
ナイアガラに対する見識にも、ちょっとした違いがある様に思えます。
ちょっと理屈っぽかったでしょうか・・。
2014/12/26 17:22:17
家族
お宅の家族の中に入れて頂いたみたい和みました
私はカナだから見て 霧の乙女号に
並んで乗りました
貴女のおっしゃる通り 近くのホテルに泊まりました
2014/12/26 13:46:04