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「晴れたらいいね」オフ 鎌倉、大仏切通から源氏山(2/5) 

2014年03月17日 ナビトモブログ記事
テーマ:自然探訪

 火の見下バス停脇が、史跡コースの入口なのだが、それを明示する標識は見当たらない。下調べはしてあったので、鎌倉方面行きのバス停標識脇の路地に入る。入ってすぐ右に折れ、路地裏のような道を30mほど行くとY字状の三叉路に出る。正面の家の石垣の上のフェンスに「大仏切通し」の文字と矢印の書かれた板が括りつけられている。左の道に入り2,30m、家並みが切れるといきなり山道になる。くぼんだ道は前日の雨の影響もあってか、水が流れていた。流れを避け脇の踏み跡を進む。
 40mほど林の中の緩やかな道を行くと、左手の斜面の上の岩壁に、四角な穴が数多く刻まれた場所に出る。“やぐら”と呼ばれ、鎌倉時代に火葬した骨を納めた納骨穴だそうだ。この場所のやぐらは、大きいものも1つあったが、普通は50cm角位の正方形で穴の奥行きも40cm位か。ロープが張られていて間際まで行って見るのは制限されていた。
 “やぐら”の岩壁の所から尾根の切通しが始まる。幹線道路からの入口は住宅地のためか、はっきりした標識もなかったが、ここには日本語、英語、中国語、ハングルの四言語で書かれた市の教育委員会が設置した大きな「国指定史跡 大仏切通」のタイトルの説明看板がある。切通しの周囲は水成岩の上に浅い土が乗って大小の木々が茂る樹林になっているが、それを深く掘り割った形になっている。土の層は薄いので、道の両側は垂直に近い岩壁になっている。底は崩落で土砂が積もり細い歩道になっているが、左右の壁の間隔は2m位はありそうだ。この様な切通しと緩やかな斜面上の普通の森の中を通る道が、2度ほど繰り返される。
 やや長い2つ目の切通しを過ぎると、左手の樹間から住宅の屋根が見えたりして、間もなく指導標のある三叉路がある。左に5mほど行くと、低山の上に切り開かれた仲ノ坂の新興住宅地に出る。10時43分だった。ここから大仏トンネルの上の尾根の掘割までは、深い切通しはない。道は山肌より掘り込まれてはいる所もあるが、壁が迫るような箇所はない。間もなく右下に県道が見えるようになり、山腹を巻いて行く道に変わる。そして、大仏トンネルの西側の口が見えると、直ぐ、一気に峠に上がる手擦り付きの階段道となる。明治12年に、人力車が通行できる道に改修されたことを示す漢文の石碑が鎌倉大仏(高徳院)の入口にあるそうだが、現在はトンネル上の尾根の掘割の両側は急な階段道になっている。トンネルができてからは完全に廃道化し、斜面も急峻なので階段道部分を迂回する道の跡も崩れ去り樹林に飲み込まれたのかも知れない。ネットの記事によると、東側(大仏側)は途中の神社まで道があるそうだ。
 3分程で尾根上の堀り割りに着く。ここは平坦な場所はほとんど無く直ぐに急な下り階段になる。2分ほど階段を下ると、トンネルの大仏側から上って来る階段道と大仏ハイキングコースの分岐の指導標ある。今日はここから、大仏ハイキングコースに向かう。10時49分だった。ここの指導標には、大仏切通しまで150mと書かれているが、切通しらしい切通しまでは、1km以上ある。
 結局、鎌倉古道大仏切通しの全行程は、30分余りの短いものだった。火の見下から入ってすぐの“やぐら”のところで5人の下りてきたトレッカーとすれ違ったが、一般的なハイキングコースからは外れていて、平日でもあり出会う人も居なかった。俗世間と隔絶された、いかにも古道らしい切通し道は、印象的であった。
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写真は、火の見下付近の“やぐら”群の一部と大仏切通道



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