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兄弟旅行 2日目(その1) 

2013年05月30日 ナビトモブログ記事
テーマ:自然探訪

2日目、7時の15分前に家内に声を掛けられて起床。引き続き天気は上々。7時過ぎに本館2階のレストランに6人集まってバイキングの朝食。

昨日、宿に着くまでのプランは、湯の丸高原通って湯の丸高峰林道に入り、池の平湿原を散策してチェリーパークラインを小諸市に下る案だった。しかし、標高1400mの休暇村付近に咲く花はまだまだ少ない。池の平湿原は標高2000mである。まだ雪が消えたばかりか、吹き溜まりには残雪もある状態かも知れない。咲く花の種類も限られる。また、上の妹は冬に転倒してから足腰の状態が良くない。池の平に行っても、「散策はしないかも…」とのこと。湯の丸高峰林道の眺望も期待するものではあったが…。
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昨夜、宿に置いてあるパンフレットの中に須坂市の観光案内があった。その須坂市には、自分にとって忘れられない場所の写真が載っていた。米子大瀑布である。学生時代、長野市の学寮から何度か足を運んだが、長野県を離れて以来、「いつかまた行きたい。」と思いつつも、実現できずに今日に至っていた。
この地形図で興味を持ち、米子大瀑布へ行ってみようと最初に出かけたのは、1967年5月14日。自転車で19km程を走り、東村(現在は須坂市に併合)の米子集落の先の標高800m地点まで上がった。ここからは5km程の山道である。毎年、春と秋の祭りには、米子地区にある米子不動尊の里寺と大瀑布の下にある奥の院との間を地元の人が通行するので道ははっきりしていた。この日は、通行する人は誰も居なかった。米子沢に沿った道を進み、米子硫黄鉱山跡の山が見通せるところまでは行ったが雨が落ち始め、この日は断念して引き返した。
5月21日に学友二人を伴って再挑戦し、今度は到達。権現滝(落差75m)と不動滝(落差85m)の2条の滝が柱状節理のある岩壁に掛かり、二つの滝の間を少し下がったところに米子不動尊奧の院がある。その前には、板屋根の古い旅館が戸口や窓が閉ざされて立っていた。米子川の対岸は米子硫黄鉱山跡。草木の無い剥き出しの丘が広がり、鉱石を運搬した索道の支柱がポツンと残され、荒涼とした眺めだった。
同年の11月4日。別の二人の学友とテントを持って2度目の米子大瀑布行きを行ない、今度は米子硫黄鉱山跡にも行った。枯れ草と笹だけの荒涼とした鉱山跡であったが、川を挟んで見る米子大瀑布の2条の滝の眺めが絶景であった。ここの景観と鉱山跡のコントラストに魅せられ、翌年の6月1日にもまた別の学友とテントを持って出かけた。この時は、滝の落口より上に上がり、菅平への地図に記された道を辿ろうと試みたが、ほとんど廃道で笹に覆われていたので、引き返した。
当時は米子地区の奥から5km程歩かないと到達できない地であったが、林道の工事が進められていた。
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パンフレットでは、紅葉シーズンの土日は自家用車乗り入れを規制とあったが、この時期は規制は無いようであった。妹達に米子大瀑布行きへの計画変更を話すと異論はなかった。
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9時前、宿をバックに三脚を立てて記念写真を撮ってから出発。自分と家内は昨日と同じように2台の車に分乗した。国道144号線を鳥居峠を越えて上田市真田町長の菅平口のY字路まで引き返す。ここでVターンし国道406号線を菅平に上る。菅平の風景写真を撮りたい願望はあったが、特に菅平に興味は無いという意見で1322mの峠を越え、そのまま須坂市に下る。大笹街道と呼ばれるこの道は急な下り坂でヘアピンカーブが続く。時折、上ってくる自転車とすれ違う。「よくもこの坂道を…」と思ったが、自分も学生時代にはここでは無いが変速ギアのない実用車の自転車で峠越えをしたこともあった。「若い頃は体力があったな…」と感じた。里に近づくと、大きな木全体に藤が絡んで紫の花を付けているものが、沢山見られた。

写真1枚目は、前日撮影の「浅間牧場から本白根山遠望」2枚目は国民休暇村「鹿沢高原」



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