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兄弟旅行 2日目(その2) 

2013年05月30日 ナビトモブログ記事
テーマ:自然探訪

菅平の峠から12.4km、標高500mまで下り、須坂市亀倉の畑地の中で国道を離れて右折し、山に向かう。2km程で人家はなくなり、やがて杉の植林の中を右に左に曲がりながら高度を上げる。道は舗装はされているが、大型車がやっとという道幅だ。国道を離れて10km、尾根を回りみ、米子川の谷の急斜面を縫うような道になる。ここからは植林は無く、新緑が美しい。傾斜はほとんどなく標高1200m付近の山肌を谷の奥へと向かう。谷側に回り込んだ付近では谷底まで250mほどあるが徐々に縮まりやがて谷底に至り、米子川に架かる橋を渡る。今度は川の反対側の斜面を3回程折り返して高度を上げ標高1270mにある車道終点の駐車場に10時15分過ぎに到着した。国道から13.4kmの走行距離になる。駐車場には10台ほどの車とジャンボタクシーが2台置かれていた。トイレと売店がある。ここからはまだ大瀑布は望めない。大瀑布に至るには谷沿いに30分の上りが必要になる。
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足腰を痛めている上の妹は無料で貸されていたストックを手にした。遊歩道は谷沿いの道と、大瀑布の展望が良い硫黄鉱山跡を経由する道がある。妹のことも考え、滝下に真っ直ぐ向かうより、先ずは大景観を望める所に行こうと硫黄鉱山跡に上る道を選択した。案内図では展望のある東屋まで、距離は900mとある。しかし東屋のある場所は標高1480mで、駐車場と高度差が210mあるため、林の中の九十九折の上りである。妹の状態をみながらゆっくりと上る。駐車場近くでは、オクルマムグラとコンロンソウ、登山路ではエンレイソウ、マイヅルソウ、トウゴクミツバツツジの花が見られた。
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11時10分。視界が開け、待望の権現滝と不動滝の2条の大滝が見えた。米子大瀑布、日本の滝百選の一つに取り上げられている滝である。自分にとって45年振りに望む景観である。滝の掛かる岩壁の下は新緑だが、上は僅かに色が付き始めたばかりでダケカンバの白い幹が目立つ。更にその奥には菅平の根子岳から四阿山に至る稜線北面が連なり残雪も多い。懐かしさと嬉しさが込み上げる。家内と妹夫妻は初めて見る景観であったが、その見事さに感激していた。東屋で休憩し、米子大瀑布と書かれた標柱を入れて記念写真を撮る。
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硫黄鉱山の跡地は緑化が進み、荒涼とした地肌剥き出しの斜面は姿を消していた。東屋がある場所は周回コースの最高地点であり、滝の落下地点よりは高い場所にある。米子硫黄鉱山跡と書かれた石碑があり、歌が彫られていた。「石楠花は」で始まっていたがその先の草書体が自分の知識では残念ながら読めない。
東屋の前に小広い平地がある。そこは後で見た硫黄鉱山の説明図によると、学校があった場所であった。学校跡地にはヨモギが沢山生えていて、妹が摘んでいた。ここから硫黄鉱山跡の中心部へは150mほど林道を歩く。一般車は入れない未舗装路で、車を置いた駐車場の手前から山肌を更に上ってきている道だ。道沿いにはタチツボスミレやツボスミレ、ニオイタチツボスミレなどが綺麗に咲いていた。
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硫黄鉱山跡の中心部には案内板が立てられていた。江戸時代に採掘が始まり昭和35年に閉山したそうである。昭和35年というと1960年。自分が初めてここを見たのは1967年なので閉山後10年と経っていなかったことになる。戦時中は従業員と家族合わせ1500人を越える人が、人里離れた標高1400mのこの地に居住していたそうだ。広い平地になっている場所は精錬所の跡地で、採鉱はさらに山に分け行った所で行われていたらしい。真冬も生活があったかについては記載されていなかったが、ちょっと信じられないような歴史事実だ。鉱石や生活物資の運搬は須坂駅まで全長14km超の索道に寄ったとのこと。平地の末端まで行き、写真を撮る。東屋のところからは見えなかった、米子不動尊奥の院と滝山旅館の屋根が木の間に見える。
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林道は鉱山跡の台地を巻いて、米子川の本流脇まで下っておりその道を辿る。そこからはまた歩道になる。米子川の本流の橋の直ぐ上には小さな雪田が残っていた。橋を渡り米子不動尊の奥の院の前に出る。12時16分だった。不動尊奥の院の正面の谷側には滝山旅館がある。1967年に訪れた時は、板屋根で戸口や窓が閉じられ廃屋に近い印象であったが、観光地化されてから改築された様子で建物が大きくなっていた。営業はしていず、玄関は閉じられ人の気配は無かった。季節営業なのであろうか。
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滝を間近から見るためのコースがある。急なジグザグの坂を上り、鉄パイプで支えられた金属製の階段を上ること4分。権現滝のビューポイントで、樹間から滝の全貌が見える。滝からの距離は50m位か。滝壺は無く岩に落下した水が打ち付けられている。V字状に切れ込んだ落口から、75mの落下、迫力と共に美しさも備えた滝である。ここからほぼ水平に5分ほど木々の中を歩くと不動滝の直下に出る。途中の道端では、エンレイソウや、タデ科のクリンユキフデの草花、そして大きめの装飾花を付けたヤブテマリの木の白い花が綺麗だった。落差85mの不動滝は斜めから望む事になる。こちらも滝壺は無い。滝に近づくと飛沫に濡れる。滝の下流も急傾斜で小さな滝が連続しており、小さい雪渓も残っていた。学生時代に来た時も同じ時期、同行の学友二人が裸になって滝に打たれに入った写真がアルバムに残っている。余りの冷たさに直ぐ退散であったが。
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不動滝から不動尊奥の院へ戻る道はさほど急ではない。途中、妹が面白い植物を発見。苔から細いもやしの様な胞子体がゾロゾロ。緑色の苔からと思ったが、写真を拡大してみると、紫色のワカメの葉先の様な平たい苔から立ち上がっていた。ネットで調べると、どうやらホソバミズゼニゴケ(細葉水銭苔)らしい。緑色の方はハイゴケ(這苔)の仲間らしい。また妹がサンカヨウの花を見つけた。葉が開ききっていないが先端に白い花を5,6個付けている。
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12時45分、米子不動尊奥の院を後にする。始めは米子川の谷まで急なジグザグ道だ。下り初めて直ぐの所にシロバナエンレイソウが咲いていた。イワカガミもあったが残念ながらまだピンクの蕾が開きかけたところだった。白に薄く紫の筋が入ったコミヤマカタバミもあった。谷底に付いて緩い傾斜の道になって間もなく、不動滝からの川を渡る。奥に不動滝が見えた。これが米子大瀑布の見納めである。
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下る途中、米子川の本流には砂防堤もあるが、5m位の高さの綺麗な滑滝も数箇所ある。大瀑布があるため名無しの滝になってしまっているが、普通の観光地なら、滝名の表示がありそうな滝に思える。道端ではヤマエンゴサクの花も見られ、林床一面にニリンソウが群生している場所もあった。フデリンドウの花も見かけた。
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午後1時25分、駐車場に帰着。3時間余りのハイキング、心配だった上の妹も結局は歩き切った。
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国道まで林道を引き返したあと、須坂市市街地の中にある臥竜公園に向かった。2時10分頃に到着。入り口付近の駐車場は満車に近く、少し置く場所を決めるのにしばらく時間を要した。日曜日で、上天気とあって子供連れの家族が多かった。ここで茶店に入り、串団子とラーメンや冷やし中華を食べ、遅い昼食にした。
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これで、2日間の兄弟旅行のプログラムを終えることにし、国道403号線を上信越道長野東ICの脇まで走り、千曲川に架かる屋島橋を渡り、JR長野駅南口まで送ってもらい、妹達と別れを告げた。長野駅からは3時50分発の新幹線に乗って大宮で、埼京線に乗り換え、そして新宿小田急で町田へと行きの折り返しパターンで帰宅した。自宅には6時40分頃の帰着になった。
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2日間、天候に恵まれ、新緑が美しい大自然、そして青春時代の記憶の詰まった米子大瀑布への再訪、様々な山野草との出会い、二人の妹の夫妻との語らい、皆それぞれ満足できる、素晴らしい思い出に残る旅だった。

写真1枚目は米子大瀑布(左が権現滝75m、右が不動滝85m)
写真2枚目は権現滝近写



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