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パトラッシュが駆ける!

お寺には内緒です 

2013年03月22日 ナビトモブログ記事
テーマ:テーマ無し

三月に入ると、お寺から手紙が来る。
ああ、彼岸が近いのだなと知る。
「護持会たより」というのが入っていて、お寺の近況をあれこれ、伝えている。

「お坊さんとゴルフ」
なんて小文を、副住職が書いている。
お坊さんも、生身の人間だ。
副住職とは言え、まだ独身であり、遊びたい盛りであろう。
去年は、プロ野球の広島カープのことが、書いてあった。
これでいい。
教義の話よりも、私は、こちらの方が面白い。

「納入のおしらせ」が入っている。
つまりは、請求書だ。

墓地管理料(一坪・一年分)   3000円
護持会費(5口・一年分)    6000円
            合計  9000円
 
一年に一度、これをお寺に納める。
そうすると、とりあえず、檀家としての責務を、果たしたことになる。
護持会費については、自主申告であり、亡父がこの額に決めた。
私はそれを引き継いただけ、変える理由もないから、そのまま今日に至っている。

「それは安い」という友人が居る。
彼の家の墓は、民営の霊園にある。
「いや、何年かに一度、本堂の修理などで、
寄付を求められるから、それを含めりゃ、むしろ高いかもよ」
私は答える。

答えつつ、そんなことは、どうでもいいと思っている。
近年とみに、安いということに、感激がなくなっている。
裕福になった・・・からではない。
デフレのせいでもない。

人生の先が、見えたからだ。
子供達は巣立ち、家も建て替えた。
もう大金を使うこともない。
三度の飯さえ、食えればいい。
あとは、道楽に使う、ほどほどの金があればいい。
つまり、欲がなくなったからだと、こう思っている。

「お寺から、お釣りをもらうわけにも、行くまいな」
「両替してあげますよ。はいどうぞ」
「ずいぶんと、ピン札だな」
「何かの時のために、千円と五千円の新札は、何時も二万円分ほど、用意してあります」
「えらいっ!主婦の鑑だ」
「そんなもの、常識です」

私の妻は、変なところで、几帳面なのである。
これで助かる時がある。
しかし、困る時の方が、ずっと多い。

碁会をやり、会費を徴収する時に、決まってぽんと、
一万円を出す男が居る。
会費は五百円だから、九千五百円の、お釣りをくれと言う意味だ。
こう言う時に、私は、この人、馬鹿じゃなかろうかと、思ってしまう。
利潤を伴う、商取引ではあるまいし、運営する側の苦労を、
一体どう思っているのであろうか。

一万円札を出して、九千円を支払う。
これなら、まだましだ。
つり合いというものが、取れている。

そこが、紅灯の巷であるなら、「お釣りはいいよ」と言う手もある。
千円は、チップである。
心づけである。
相手が嬉しそうに、頭を下げる。
それは、まんざらでもないことだ。

問題は、お寺に対し、それをやっていいかどうかだ。
ちょっと違うような気がする。
“余った”千円は、黙って賽銭箱に入れるべきだろう。
「喜捨」とは、そういうものだと思う。
だから、きちんと、九千円を用意した。

お寺は込んでいた。
無理もない、彼岸の中日である。
檀家の世話係だろう、寺の法被を着た男たちが、境内の整理に当たっている。
玄関の受付にも居て、住職の補佐をしている。
同じく檀家なのに、何もやらない私は、少し後ろめたい。

一年ぶりに会う、住職の頭が、かなり変わってしまった。
前頭部が、禿げている。
かなり進行している。
私も、人のことは言えないが、それでも住職よりは豊かだ。
「いいえ、あーたのは、後頭部だから、自分で見えないだけです」
横に居る人が言う。

先客が居て、私の後にも、後続が居る。
何時もは、時候の挨拶から始まり、少しは雑談をするのだが、それも出来ない。
住職は、金額を確かめるや、そそくさと受領書を寄越し、金を仕舞った。
新札であることに、感慨を示すこともない。
それ見たことか。
妻の努力たるや、自己満足に終わってしまった。

領収書ではなく、受領書である。
どう違うか。
「領収」の二字には、残念だが、金銭の臭いがつきまとう。
「受領」の方が、さっぱりして、世俗から少しは遠い。
従って、お寺の収入には、後者がふさわしいと思われる。

考えて見れば、私もさっぱりした檀家だ。
ただ墓があると言うだけ、年に九千円しか払わず、
何かの手伝いをするわけでもなく、淡々と寺に繋がっている。

浄土真宗であって、教義は比較的簡単だ。
「南無阿弥陀仏」
ひたすら弥陀の本願におすがりし、念仏を唱えればよいことになっている

何でも自助努力でやって来た、私としては、少し物足らない。
貧乏性なのである。
お経だって、少し難しいものの方が、ご利益がありそうではないか。

一昨年、私は、何の気なしに、遍路に出て、行きがかり上、四国を一周してしまった。
般若心経も覚えた。
巡った八十八ヶ寺のほとんどが、真言宗である。

挙句の果てには、その旅の記録を、本にまとめ、出版してしまった。
本は今、図書館の、仏教書の書架におかれてある。
つい自慢したくなるのだが、その図書館の数が、増えつつある。

住職に、本当のことを言えない。
旅のことも、本のこともである。
「親鸞上人より、本当は、弘法大師の方が好きなんだー」
なんてこと、口が裂けても言えない。
頭髪のことも言えない。

お寺が込んでいて、むしろ幸いであった。



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仕方なく・・・

パトラッシュさん

トバーズさん、
似合いではありません。
対照的な夫婦です。
まあ、なんとか持っているので、これで良しとしましょう。
(よくなくても、もう、代替えが利きません)

2013/04/01 20:30:13

難しい・・・

パトラッシュさん

Rockさん、おっしゃる通り、
理想のごとくに、使い切りたいのですが、こればかりは、
どうも・・・

2013/04/01 20:28:11

お似合いのご夫婦

トパーズさん

奥様の心遣い、お見事ですね。
細かいところまで、気がつく方は、何をやらせても
行き届いています。パトラッシュさんとお似合いの
ご夫婦ですね。

2013/04/01 10:55:44

あの世に金は要らぬ

Rockさん

金は死んだら使えません
寿命にあわせて使いきるのが理想
あて あと何年と考えると 使うのを
躊躇するかもしれませんね あはは
パアーーット使えたら、後が困る
ちびちびだと 余るかも・・・
どうしましょう あはは

2013/03/31 21:51:18

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