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パトラッシュが駆ける!
トタン屋根の家
2012年06月22日
テーマ:テーマ無し
うちなんかに来るのは、曰くのあるやつばっかでね。
そう、男の一人もん、みんないい歳だ。
夜逃げしちまうのも、居るよ。
家賃?
もちろん、払わずにさ。
電気、水道、ガス、何もかも踏み倒してね。
だいたいね、定職に就いてないんだから。
生活保護を受けているのは、むしろ安心だよ。
そう、Yのやつ。
ここにもちょくちょく来るでしょ。
いい若いもんが、昼間からぶらぶらして、
困ったもんだが、大家としては、安心して居られる。
定収入があっからね。
そうなんだ。
心の病気だって、当人は言うんだ。
あんなんを養ってる、行政もたいへんだろうね。
だから政府だって、税金上げなきゃ、やってけねえんだ。
* * *
徳さんはアパートを経営している。
私とは、囲碁の仲間であり、集会所でちょくちょく対局をしたものだ。
ついでに言えば、Yも少しは碁が出来ると見え、集会所に屯することがあった。
「いやあ、僕なんか」
か細い声を出し、それでも初心者の、碁の相手をしていたことがあった。
なよなよとして、身体に締りというものがない。
風が吹いたら、吹き飛ばされそうとは、彼のことだろう。
そう言えば最近、そのYの姿を見ない。
まさか、死んだわけではあるまい。
今度徳さんに会ったら、聞いてみようと思っている。
* * *
「中国人でもなんでも、受け入れますよ」
こう広言して憚らなかったのは、老いてなお、アパート経営に意欲を燃やしたMさん。
女性である。
一人身である。
世間では彼女を、ある種の思いを込めて、“あの老嬢”がと噂した。
「だって、住むところがなくて、困っている人が居たら、助けてあげなくちゃあ」
太っ腹なことを言ったものだ。
過激派の学生を、それと知りつつ入居させるとも噂されていた。
だって彼女がそもそも、元はそっちの方だからと、こう言う人も居た。
その一方で、彼女の辣腕を指摘する声もあった。
「不動産経営はね。どうやって、家賃を払わない入居者から、
取り立てるかにかかっているの」
このセリフ、何処かで聞いたような気がする。
入口を緩やかにしておいて、後に厳しく迫る。
金貸しの手口だ。
私も一度、入居者を捕まえ、執拗に責める、老嬢の声を聞いたことがある。
「払ってもらわなければ、困るんですよ」と言うことを、説得でも威嚇でもなく、
どちらかと言うと、哀願に近い形で、延々と続けていた。
外出しようとして、老嬢に袖を掴まれた、その若い入居者の、困惑した顔が、
今も目に浮かぶ。
あれじゃ、払わずに居られまいよ・・・
その手管には、思わず舌を巻いたものだ。
* * *
私も実は、不動産の賃貸で飯を食う身、つまり、大家の端くれである。
しかし、とてもプロとは言えまい。
私には、徳さんの鷹揚、老嬢の辛辣、そのどちらも真似が出来ない。
精々、入居者の選定に、気を使うくらいだ。
入り口で防ぐ・・・
これくらいしか、能がないからだ。
徳さんのアパート、徳竹荘には、今時風呂もない。
老嬢のM荘も、負けず劣らずに古い。
首都直下型地震が発生したら、ひとたまりもないと思われる。
それでも入居する者が居る。
これが不思議だ。
* * *
トタン屋根なんか、久しぶりに見た。
壁もトタンで、それがまた、赤く錆びている。
建物全体が、傾いているようにも見える。
テレビの画面に写った、菊池直子容疑者の潜伏先である。
陋屋、茅屋、弊屋・・・
これらを通り越して、廃屋に近い。
これを彼女は、借りていたとか。
となれば、貸した者も居るはず。
大家はどうした?
私はすぐに、そこへ頭が行ってしまう。
* * *
私には、一つの癖がある。
例えば電車に乗ったら、すぐに、向かいに座った人々を見渡す。
もしやその中に、著名人に似た顔はないだろうかと、観察するのだ。
妻が同行していれば、余計に張り合いがある。
手帳を取り出し、例えば「樹木希林」と書く。
あるいは「江川詔子」と書く。
時には「今度の猿之助」「十年前の野田総理」「晩年の沢尻エリカ」なんてこともある。
それから、ことさらにそっぽを向き「右から二番目」と言い、手帳を見せる。
決して指差したりはしない。
「そうね、そっくりね」と言われることは、滅多にない。
「似てないわ」
にべもない時がある。
「まあまあね」
よくてこう言われるくらいだ。
しかし、これでいい。
要は、特徴を掴むことだと思っている。
ぼんやり見ているだけではだめだ。
気を入れて見る。
それも細部にとらわれず、その人物の持つ“気分”を捉えるようにしている。
菊池容疑者の顔は、手配写真とは似つかぬほどに、変わってしまっていた。
それでも、その身において、変わらないものがあったはずだ。
だからこそ、慧眼の者によって、疑われたのではないか。
かつて、神奈川県警に通報した者が居るとも聞く。
私が、菊池容疑者のところの、大家だったらなぁ・・・
しきりに思っている。
賞金の一千万円が欲しくて・・・
もちろん、それはある。
それ以上に、洞察力の問題だ。
日頃の研鑽の成果を、何処かで示せないものかと思っている。
老嬢の健在なりし頃、私は日頃、M荘の住人には注意を怠らなかった。
一癖も二癖もある入居者ばかりで、観察のし甲斐があったこともある。
それ以上に、指名手配の犯人でも、紛れ込んでいないかと、疑っていたからだ。
その老嬢も亡くなり、随分と時が経つ。
菊池容疑者の潜伏先に、負けず劣らず陋屋だったM荘も、改築がなされ、
見違えるようになり、入居者もまた、様変わりしてしまった。
若者が多く、皆さんスーツ姿で、毎朝出勤されて行く。
観察に耐える顔など、すっかり見えなくなってしまった。
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過去の遺物
しあわせさがしさん、
何時も拙文をお読み頂きまして、ありがとうございます。
私は、金物店を経営していたこともあり、トタンには詳しいのです。
サイズから値段から。
しかし、あのトタンはもう、めったに売っていません。
過去の遺物・・・
それだけに、ちょっと懐かしくなりました。
最近、書くものが、小説風に傾いています。
いいかどうかはわかりませんが、しばらく続けようかと思っています。
2012/06/23 08:32:01
うう〜ん
トタン屋根・・・懐かしい響きがあります。
戦後のモノのない時代のころのような。
遠藤周作のこれでもかと思うほど超汚い
裏町が背景の「わたしが棄てた女」を彷彿させます。
今時は本当に見なくなりましたが菊池容疑者の
潜伏先には驚きましたね。
下町の不動さん屋さんの人間模様。
一遍の小説仕立て・・・面白かったです。
何だか続きが読みたい気分です^^
2012/06/22 19:43:02