薄着の美学

メニュー

テーマ

テーマ無し（ 470 ）

カレンダー

月別

パトラッシュが駆ける！

2012年06月15日ナビトモブログ記事
テーマ：テーマ無し

「今日はちょっと寒いです。そこにジャンパーを出しておきました」
「いいや、要らない」
「いくらなんでも、半袖じゃあ」
「今は初夏です。夏の初めと書きます」
「雨も降ってるし、風邪を引きますよ」
「引きません」
「変なひと」
「変じゃありません。若いんです」

妻と私では、体感温度が５℃ばかし違うようだ。
「あーたのような、寒さに強い人と、一緒になるんじゃなかった」
冬になると、妻はこう言う。
寒がりの気持が、あーたには、わからない。
暖房を付けていると、すぐに嫌な顔をする。
やあねえと、こうだ。

嫌な顔なんか、したことがない。
そして私は、暑さにだって強いのだ。
さらにさらに、私にも、考えというものがある。
人間は、満ち足りたら終わりだ。
常に何か、足らないものがあった方がいい。

「冷暖房を万全に」
これが満ち足りの一例であろう。
私は、少し寒い、少し暑いくらいの方がいい。
だから、節電要請なんか大歓迎、私の時代が来たと思っている。

寒暑を、忌避するのではなく、季節の移ろいとして、むしろ積極的に受け入れ、
これと折り合いを付けて行く。
慣れて行く。
身体を慣らして行く。
これが健康の秘訣だと思っている。
もちろん「心身の」である。
健康に、心、身体の別なんか、ありはしない。

しかしこの考えは、世間になかなか、伝わらない。
しばしば変人扱いされる。
「今度結婚する時は、普通の人にするんだー、あたし」
妻だって、こんなことを言っている。

　＊　＊　＊

若い頃の話である。
急な納品があり、雨降りにも拘らず、屋外で仕事をした。
夏だから、濡れても大丈夫と思った。
私も、働き者であった。
やり始めたからには、途中でやめるわけには行かない。
しかし、情けないことになった。
翌日になって発熱し、二日ほど寝込んだ。

それに懲りて、その後は雨に当たらないように、気を付けている。
やむを得ず濡れた時は、速やかに身体を拭き、体温の低下を招かないようにしている。
私の場合、頭に問題があるようだ。
頭頂部を濡らすと、途端に体温調節がうまく行かなくなる。
これ、河童と同じであり、しかし逆である。
彼らはその、頭の皿が乾くや、たちまち生気を失うと聞いている。

頭に気を付けたこともあり、その後は滅多に風邪をひかない。
寝込むこともほとんどない。
入院したのは、十年前、ヘルペス（帯状疱疹）をこじらせた、その一度きりだ。
寒いだけでは、人は風邪を引かない。
寒暖の急な変化こそが、風邪を引かしめるのだと、私はこう思っている。

　＊　＊　＊

雨の季節である。
道行く人々の、服装がまちまちだ。
夏だから、シャツが多いのだが、スーツにネクタイの男性も少なくない。
「お仕事ご苦労様です」
私はつくづくと、その装いが気の毒になる。

私は人生のほとんどを、軽装あるいは、略装で過ごした。
零細商店ながら、幸いに経営者であったからだ。
私は、サラリーマンに憧れた一時期もあったが、
出勤がいや、満員電車が嫌い、スーツにネクタイ姿が苦手では、どうにもならない。
それで仕方なく、家業を継いだようなものだ。
結果的にはしかし、それで幸せだったと思っている。

スーツどころか、しっかりと、レインコートを着た人さえ居る。
この時期にである。
年配男性に多い。

きっと用心深いのであろう。
雨に濡れれば、風邪を引く。
呼吸器の弱い人であれば、そこから肺炎へ、変じないとも限らない。
災禍を未然に防ぐ。
対策に、万全を期す。
これは立派な考えだ。

しかしながら、万全とか完璧からは、「美」が生まれ難い。
破調の美しさということがある。
あるいは、乱調でもいい、簡素でもいい。
少々乱れ、そして足らないくらいの方が、往々にして美しいものだ。

ああはなりたくない・・・
私も客観的には、まぎれもない年配男性なのだが、その万全の姿を見るにつけ、
つい思ってしまう。
この時期における、レインコート姿というものは、過剰防衛を思い起こさせ、
それは「じじむさい」だけでしかない。
私は、例え風邪のリスクがあろうとも、この姿にはなりたくない。

　＊　＊　＊

「おっ、寒くないの？その恰好で」
「大丈夫」
「元気だね」
「それほどでも」
吉田屋が、店の前を通り過ぎて行った。
見ればしっかり、ジャンパーを着ている。

勝った・・・
私は、ここぞとばかりに、胸を張り、その姿を見送る。
彼は、終生のライバルである。

夏はもう、そこまで来ている。
この期に及んで、誰が万全など期すものか。
私は、毎日を薄着で過ごしながら、これがもう、うれしくて仕方ない。