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パトラッシュが駆ける!

人を見舞わば 

2012年05月18日 ナビトモブログ記事
テーマ:テーマ無し


「何か買いたくても、コンビニ一軒ないんですよ」
I子さんが、笑いながら言った。
「職員の皆さんは、とても親切にしてくれるんですけど」
彼女の笑いの中に、透けて見えるものがある。
想像していた通りだ。
「妹が、こっちへ来ないかと言ってくれました。言ってくれるだけ、ありがたいです」
当初、こう語っていたのは表向きで、群馬の片田舎に引っ込むのは、
やはり不本意だったに違いない。

八十歳。
子供は居ない。
旦那が死んで二十年、一人暮らしを続けて来たものの、近年は入退院を繰り返している。
他に選択肢はなかったに違いない。
「妹のところからは、車で10分です」
「それは便利だ。やはり肉親の近くがいい」
「隣接して、同じ系列の病院があるんです」
「それは好都合ですね」

東京のマンションを引き払い、群馬の老人ホームに入ると聞いた時、
私は懸念を抱きつつも、実はほっとしていた。
私が、その借りているマンションの、保証人であったからだ。
彼女の入院中に、家賃を立て替えて払うなどは、毎度のことであった。
最後にはきっと、この手で葬式まで出してやるようかなと、覚悟を決めていた。
実は、旦那が死んだ時だって、この私が、葬儀の一切を取り仕切ったのである。

実を言えば、親戚でもなんでもない。
母親同士が親しかった関係で、その死後も、子供同士がその縁を引き継いだに過ぎない。
と言うより、私の方が大分若いこともあり、一方的に頼られたと言った方がいい。
商店経営者として、地元では多少の信用もあり、
賃貸契約の保証人には、うってつけだったろう。

「陽気がよくなったら、どうぞ遊びにいらして下さい」
I子さんからの葉書には、引っ越しの際にかけた手間への礼と共に、
そんな“お愛想”が書いてあった。
しかし、これが家でも新築したのならともかく、老人ホームへの入居である。
私が群馬県みどり市なんてところへ行くことは、ないと思っていた。

 * * *

「見て見て、藤がきれいよ。ねえ、行ってみない?」
「何処だ?、ああ足利か」
妻に誘われた時、それが何であれ、私はなるべく、応じるようにしている。
観劇であれ、コンサートであれ、展覧会であれだ。
さすがに茶会は断るけれど。

私は普段、気ままなことばかりをやっている。
一人旅が好きで、フーテンの寅さんみたいに、しょっちゅう何処かへ出かけるのだが、
彼と違うところは、私には妻が居て、これが何かと目くじらを立てるのだ。
立てさせないためには、日頃の行い、つまり女房孝行、これで宥めるよりない。
我ながら軟弱亭主だ。
真の自由人、寅さんの境涯が、時に羨ましくもなる。

「すごいわねえ、この藤」
足利フラワーパークの、巨大な藤を目の当たりにし、妻が声を上げた。
歓声を通り越し、驚嘆の声だ。
これでいい。
これで、かなりの点数が、稼げたと思う。

市内に戻り、足利学校にも寄った。
我が国最古の学校であるそうだ。
隣にある鑁阿寺(ばんなじ)は真言宗の寺であり、山門をくぐると、
お大師さんの像もあった。
本堂の前に立ち、久しぶりに般若心経を唱えたら、とてもいい気分になった。
この辺は、自分のためにも、点数を稼いている。

足利から、電車で七駅のはずなのに、これが長かった。
電車の本数が少なく、なかなか来ないのだ。
乗り換えの待ち合わせにも、途方に暮れるような時間がかかる。
東京浅草から、足利に着くまでの時間より、もっとかかって、七駅先の駅に着いた。
これがまた、駅員一人の小さな駅であり、周辺に商店など、一軒もない。

道を聞こうにも、人通りはほとんどない。
やっとのことで、ホームに着いた。
足利の藤が咲いていなかったら、そして、それを妻がテレビで見なかったら、
私はここには来なかっただろう。

 * * *

ベッドから起き上がったI子さんが、私達を見て、それから「ああ」と声を出すまで、
しばしの時間がかかった。
それもそうだ。
予告なしの訪問なのである。

久闊を叙し、息災を喜び合った。
いや、息災とも言えない。
「これですもの」
I子さんの見せたのは、点滴のバッグだ。
24時間、これの世話になっている。
それで、命を繋いでいるのだ。

「いいところですねえ」
五階の居室の窓からは、緑濃い、上州の山野が見渡せる。
褒めるのは、このくらいしかない。
いや、まだあった。
「きれいな建物ですこと」
「お顔の色が、よろしいじゃないですか」
「お部屋もよく出来ていて」
妻を連れて来て、よかった。
さすがに女だ。
人を見舞うに際しての、ツボを心得ている。

 * * *

「電車の時間がありますので、そろそろ」
腰を上げた時の、I子さんの顔が思い出される。
「また来ます」
と言ったって、そうそう来られるところではない。
そのことを、I子さん自身が、よく知っている。

浅草行きの電車に乗り、私はほっとして、ビールを飲んだ。
これでも往路では、控えていたのだ。

「あわただしくて、悪かったかな?」
「来ただけ、いいんじゃないの」
「これが、終の別れになるか・・・」
「わかりません。あの人は不死身だから」
実際に彼女、これまで何遍も、死線を乗り越えている。

思えば、長い付き合いであった。
母親同士、手を取り合い、助け合い、戦中戦後の苦難を乗り越えたと聞いている。
一緒に防空壕に飛び込んだこともあったらしい。
「I子さんが、お前たちの手を引いてくれたんだからね」
母から聞かされたが、もちろん、幼かった私には、記憶がない。

「あの人は間違いない」
信頼出来るという意味だろう、母は何かにつけて、I子さんをこう評していた。
それこそ、べた褒めに近い。
我が子には厳しくて、私は褒められたことなど、遂になかったのだが。

それもそうだ。
私は死んだ母に対し、親孝行らしいことを、何一つやってやれなかった。
内心、忸怩たる思いが募る。
しかし、これだけは、あの世に行った時に、褒めてもらえるだろう。
I子さんとの縁を、最後まで切らさなかったことだ。

おっといけない。
彼女はまだ死んだわけではない。

スカイツリーが見えて来た。
東武特急「両毛号」は速い。
それに引き替え、あのローカル線だ。
何とかならないものかと思う。



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ありがとうございます

パトラッシュさん

しあわせさがしさん、拙文をお読み頂きまして、ありがとうございます。
楽しい話ではないので、どうしようかと思いつつ、しかし、書いてしまいました。
やむを得ず小説風に・・・というところです。

しあわせさがしさん、お子さんが近くに居て、それは心強いことです。

ブログ、いつも感心しながら、読ませて頂いております。
ますますの御健筆を!

2012/05/19 11:47:14

お疲れさまでした

さん

小説を読む感じでおもしろく拝読しました。

お母さま同士のおつきあいをいまだに大切に
されて、あれこれ面倒をみておられるのですね。
パトさんのお人柄に触れた思いです。

人間の一生が凝縮されたようなI子さまの
行く末・・・他人ごとではありませんね。
こちらは子どもも孫も近くにいて安寧な日々
ですけれど、いつどうなるか・・・。

2012/05/19 07:52:07

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