筆さんぽ

山吹 幸田露伴の句会 

2024年04月18日 ナビトモブログ記事
テーマ:筆さんぽ

よくしなう細い枝の先に、黄色、いや黄金(こがね)色と呼びたい花が咲き、
暖かさを増してゆく陽光に眩く輝く。
散歩路で山吹の花をみて、幸田露伴の句会の話を思い出した。


幸田露伴は娘の文(あや)に句ができたかと問う。

「おまえは山吹を、いままですでに知っていると
思っているだろうが、それは多分本然(もともとの姿)の
山吹のすがたじゃないよ。
知っていると思って胸にもっていることなんぞ、
実はごみくたみたいなことなのさ。
きたないものはみんな吐きだして掃除してみないか」

父、幸田露伴をはじめ身内のものだけの
句会が開かれる。俳句の題はあらかじめ
「山吹」と決められた。句会まであと数日、
幾度か、露伴は娘の文(あや)に句ができたかと問う。

幸田文の『父・こんなこと』に「おもいで二ツ」
という短編がある。

父の露伴から毎日「句はできたか」と
督促され、文は山吹の花を見たら
いい句が浮かぶかもしれないと探しに出るが、
花はすでに終わっていた。

山吹は四、五月ころに黄色い花を咲かせる
バラ科の落葉低木で、英名を「学名:Kerria japonica」という。
 
「山吹」といえば、芭蕉の「古池や蛙飛び込む水の音」は、
はじめ「山吹や蛙飛び込む水の音」だったと、
『芭蕉事典』(春秋社)にあった。

春の静寂の日、芭蕉庵のそばの古池に
蛙が飛び込む。一瞬あたりの静寂は
破られるが、すぐにまたひっそりとした
静けさにかえる。

その風情に「蛙飛び込む水の音」はできたが、
最初の五文字がきまらない。
そばにいた弟子の其角(きかく)が
「山吹や」はどうかと提案する。

「山吹や」にしようか、「古池や」にしようか、
ふたりは論じたのち、芭蕉はこう言う。
「『山吹や』という五文字は風流にして
華やかなれど、『古池や』のほうは質素にて実也」。

「実」は本質、まこと、あるがままという意だろう。
「山吹」の風流を捨てて「古池」の「実」を重んじ、
芭蕉は閑寂幽玄の句風を打ちたてた。

 さて、幸田家の句会の当日。
 その前に「句会」にふれよう。
幸田家の句会のように、
前もって決められた題を「兼題」といい、
出席者は当日までに句を考えておく。
句会の席上で出されるものに、
「席題」(その季節に関係した季題)と
「雑詠」(季節を限定しない題)、
「嘱目」(句会の行われている場所を中心として、
見聞できるもので句をつくる)などがある。

 幸田家の句会で選句(出席者が選んだ句。
自分の句を選んではいけない)が読み上げられる。

 「風そより山吹ほろり水しょろり」。
この句は文が露伴を真似た
「ロハニズム」(露伴風)の一句だった。

そうとも知らぬ露伴はこの句が大いに気に入った。
「が、いったい、こう乙に気取ったのは誰だい」。
その一言を待っていたのは文。
「なあんだ、おまえかい! こいつめ!」。
文は大いに愉快だった。

文は、露伴の没後、友人にこの話をした。
みんな面白がって笑ったが、
文は「笑っているうちに雫がほろっとこぼれた」



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