筆さんぽ

漱石が賞賛したきれいな子どもの世界 

2024年04月19日 ナビトモブログ記事
テーマ:読書案内

愛読のひとつに、
中勘助の『銀の匙』(岩波文庫「緑」)がある。

お国さんはお友達というものの最初の人であった。
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二人がさしむかいになったときにお国さんは子供同士がちかづきになるときの礼式にしたがって父の名は母の名からこちらの生年月日までたずねた。そしてなにの齢(とし)だといったからおとなしく酉(とり)の齢だと答えたら
「あたしも酉のとしだから仲よくしましょう」

といっていっしょに こけこっこ こけこっこ といいながら袂(たもと)で羽ばたきをしてあるいた。同い年はなにがなし嬉しくなつかしいものである。お国さんはまた家の者が自分のことを痩っぽちだのかがんぼなどというといってこぼしたが私もみんなに章魚(たこ)坊主といわれるのがくやしかったので心からお友達の身のうえに同情した。

文庫で200頁以上あり、全文を読まないと、中勘助の「味」は伝えられない。哲学者で日本思想史家の和辻哲郎の「解説」の一部を紹介する。
………
この作品の価値を最初に認めたのは夏目漱石である。漱石はこの作品が子供の世界の描写として未曾有のものであること、またその描写がきれいで細かいこと、文章に非常な彫琢があるにもかかわらず不思議なほど真実を傷つけていないこと。文章の響きがよいこと、などを指摘して賞賛した。
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『銀の匙』には不思議なほどあざやかに子供の世界が描かれている。しかしそれは大人の見た子供の世界でもなければ、また大人の体験の内に回想せられた子供時代の記憶というごときものでもない。それはまさしく子供の体験した子供の世界である。子供の体験を子供の体験としてこれほど真実に描きうる人は、(漱石の語を借りて言えば)、実際他に「見たことがない」。………

ぼくはこれを読んだとき、和辻哲郎の「解説」は理解したが、同時に、言葉にするのはむずかしいが、「人間の不思議」のようなものを考えさせられた。
(『銀の匙』の魅力をきちんと伝えられなくて失礼いたしました)



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