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筆さんぽ
「勝ち組」「負け組」
2024年04月29日
テーマ:筆さんぽ
Sさんと雑談した。
オレは、高校を卒業してちいさな運送会社に勤めた。
職場で知り合った事務の女性と結婚して幸せな日々を過ごしている。
飲み会で、同窓のKさんに罵られるように言われた。
キミは「負け組」、オレは「勝ち組」だ。
Kさんは、大学を出て一流企業に就職し
上司の娘さんと結婚して出世街道をまっしぐらであった。
Kさんは「人生は勝ち組と負け組しかいない」といつも口にする。
Sさんは、Kさんからみたら「負け組」かも知れない。
Sさんは、悔しくてたまらない。
ぼくは解答にはなっていないがと
本で読んだ話をした。文化人類学者の故今西錦司さんは
若いころ、京の賀茂川の瀬で石をめくりながら
そこに棲むヒラタカゲロウの幼虫を調べていると
大小四種類が、流速のちがいに応じて
それぞれが処(ところ)を得て生きていることを知った(『今西錦司全集』〈講談社〉)。
ダーウィンに自然淘汰論がある。
それがほんとうならば、小は大に殺されて消滅しているはずなのに
実際には棲み分けて、気持よく(?)生きているではないか
今西さんの有名な「棲み分け理論」は
このようにして出発した。
冒頭のKさんとSさんは「勝ち組・負け組」などではなく
「棲み分け」ているのである。
世のなかは、すべからく「競争社会」であるという。
市場経済において、競争とは経済を促進するための基本原理であるのだから
やむを得ないとする考え方もある。
そうだろうか、あらためて考えたい。
そのまえに、『今西錦司全集』を開く。
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