筆さんぽ

兄を訪ねて 

2024年03月25日 ナビトモブログ記事
テーマ:エッセイ

若いころ東北のA市に兄を訪ねた。
兄と久しぶりに会った。
兄は昭和の好景気にのったのだろう、
大手メーカーのA市工場長として、「栄転」した。

兄は子どものころから成績がよく、
わが家の出世頭で、父の自慢の息子でもあった。
ぼくは、何をやっても兄にかなわず、引け目を感じていた。

好景気には光と影がある。飛躍するが、
スコット・フィッツジェラルド(Scott Fitzgerald)の小説の
『華麗なるギャツビー』(The Great Gatsby) は、
空前の好景気に沸くアメリカの富裕階級の光と影を描いている。

時代も状況も異なるが、兄の栄転で多くの社員がリストラされたと聞く。
ぼくはそういうサラリーマンの管理社会に馴染めず、
そこでのほほんとしている兄は感性のどこかが故障しているのではないか
と感じていて、その部分に関しては好きになれなかった。

兄は待ち合わせ場所に、「自慢するかのように」運転手さん付きのクルマでやって来た。

クルマにぼくを招き入れ、食事に行った。ちょっと高級な店で、ここは弟の「特権」ですっかりご馳走になった。

兄は生真面目な人で、「歌舞音曲」の類は苦手であった。
ぼくは、すこし酔っていたこともあってリクエストした。
「カラオケスナックに連れて行ってください」。

兄は困った顔を見せたが、
兄貴風をふかすように、小さなカラオケスナックの看板の店に入った。
カウンターだけの店で、客は兄とぼくだけであった。
店のママは、寡黙な老婦人で、兄らしい選択だと思った。

「歌いませんか」と兄にマイクを向けた。
「いや」。兄に意地悪をするつもりはないが、兄にも不得手なことはあるだろう、と言いたかった。
ぼく
は、流行の曲を、見せつけるように続けて二曲歌った。
嫌味のように兄にマイクを向けた。しばらく沈黙があった。

ぼくは、陰険なやり方だとすこし胸が痛んだ。
兄は何を歌うのだろう。

ぼくが歌うわけではないのにドキドキした。
「みかんの花はある?」
「ありますよ、『みかんの花咲く丘』ですね」。

兄さん、あれは童謡でしょうと言おうとしたがやめた。
兄はみかんの特産地、S市の大学を出た。
歌舞音曲と離れた生活をしていた兄に聞こえてきた歌は、
これだけだったのだろうか。

みかんの花が咲いている 
思い出の道丘の道
はるかに見える青い海
お船がとおくかすんでる

店主の老婦人もちいさく歌っていた。

何時か来た丘 母さんと
一緒に眺めた あの島よ
今日もひとりで 見ていると
やさしい母さん 思われる

ぼそぼそとこもった声で歌う歌詞を聞いていると、
なぜか、胸が熱くなった。
ぼくは、ここでも兄に負けてしまったのか。

兄が、ぼくに付き合って、カラオケスナックで、歌いたくもない童謡を歌ったのは、
大きな会社で千人を超す社員を使うことになって、「自分が折れること」をしなくては、人の和を保てないと思ってのことだろうか。
兄の感性は故障していなかった。

その兄はいま、脳梗塞の後遺症で認知症となり、ぼくのことも覚えていない。
「みかんの花咲く丘」も歌えない。

思い出が悲しみのかけらとなってこぼれ落ちた。



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