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子規のちいさな恋
2024年03月27日
テーマ:エッセイ
正岡子規は、明治35年の秋、母と妹に看取られ、かなしいことに、34年と11カ月という短い生涯を閉じた。
春になると、子規のこの句が思い出される。
筍や目黒の美人あるやなし 子規
「目黒の美人」というと、あの話にちがいない。
「目黒のタケノコ」は、かつて名物であった。目黒の郷土史には、こうある。
「目黒のタケノコ」の名を広めるにあたって一役買ったのは、
目黒不動前の料亭であった。
角伊勢、内田屋、大黒屋などの店が、「名物筍飯」として客を呼び、多くの文人墨客も賞味した。
明治中期の東京の事物を記した『東京風俗志』に
「目黒の筍飯・栗飯、不忍の蓮葉飯、割烹店の調理品として名あり」とある。
目黒では特産品の筍を炊き込んだ筍飯が料理屋の売り物にもなっていた。
その料理屋は目黒不動門前に多く店を構えていた。
目黒不動に遊んだ正岡子規はその思い出を書いている。
子規は、四月のある日、
友人と目黒不動の牡丹亭という料理屋に上がり込んだ。
「あつらへの筍飯を持つて出て給仕してくれた十七、八の女があつた。この女あふるるばかりの愛嬌のある顔に、しかもおぼこな(まだ世慣れた感じのしないこと)処があつて……」
子規はこの、世間ずれをしていない、かわいらしい少女を気に入ってしまった。
「少女に帰り道の品川までの道を尋ねると、真っ暗闇の中を小田原的提灯を持って品川まで案内してくれた。
ここで、少女は子規に渡した提灯の中に小石を一つ落として『さやうなら御機嫌宜しう』と帰っていった」
子規は、このときのことが忘れらず、随筆(『病牀六尺』)に記した。
「この時の趣、藪のあるやうな野外(のはず)れの小路のしかも闇の中に小提灯をさげて居る自分、小提灯の中に小石を入れて居る佳人、余は病床に苦悶して居る今日に至るまで忘れる事の出来ないのはこの時の趣である」。
子規は、かなしいことに、この年の秋、永眠した。
提灯に入れた少女の「小石」は、少女が子規に宛てた、おさない「恋心」だったのだろうか。
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