筆さんぽ

カニを思わせる女 

2024年03月13日 ナビトモブログ記事
テーマ:エッセイ

志賀直哉の『暗夜行路』の一節に、女のことを形容して、どこか遠い北の海でとれたカニを思わせるようなところがあった、とあった。

これを読んだのは、缶詰のカニしか知らない子どものころで、カニのような女とはどんな女なのだろうと考えたが、ちんぷんかんぷんであった。子どもであっても、その描写のうしろには、すくなくとも、女をほめていることはわかったので、子どもは本を読みながら、遠い北の海でとれたカニはいったいどんな味がするのだろうと考えたり、それから、そんな味のする女とはどんなことなのだろう、と意味もなくドキドキしたり、暇なものだから図書館の図鑑でカニを調べ、女に似てないじゃん、とよけいにこんがらかったものであった。


そもそも「女」というと、いつも白い割烹着の母親が女であることがかろうじてわかっているくらいで、その「女」も、カボチャの煮物や蒸かしたサツマイモをよく作っていて、機嫌のよいときに大学芋を作ってくれるだけで、その母親に「ねぇ、母さん、カニを思わせる女って、どんな女?」などと聞けるわけがない。たとえ聞いたとしても、「嫌だよ、この子、なんかヘンなもの食べたんじゃないか」と言われるだけだろう。

大人になってからカニを食べられるようになり、食べるたびにときどき、この比喩のことを思い出したが、カニというのは、料理にもよるが、おそろしく食べるときの手間がかかるもので、カニ専用ばさみやカニ専用スプーン・フォークを寄席の「紙切り」のように、忙しく使わなければならず、酒を飲む暇もない。
であるから、味などをじっくり堪能することなどできず、そのうち比喩のことなど忘れてしまう。ぼくの場合であるが、カニはおいしいと思うが、大好物というわけではなく、食べるときに手間がかかり面倒で、お気に入りの酒を堪能したいときは、カニさんには遠慮していただいている。

だからといって、女は面倒だ、と、まさか女性の前では言えないし、男同士であっても、もし相手がカニ好きであったら、この味がわからないのか、ガキだなといわれるのがオチだから、このあまい滋味が、海の果汁のようでうまいものだ、と気取ってみせる。ガキじゃあなく、カニだよ。

そういえば、子どものころ夏の海辺でカニのハサミで指先を挟まれ痛い思いをしたことを思い出した。カニのハサミと女性を結びつけようとは思っていません、けっして。



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