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あの世
2024年03月12日
テーマ:筆さんぽ
あの世があるのか、ないのか、わからない。わからないが、わからないものは、あるほうに賭けたい、と思っています。
はじめに急いでいいますが、ぼくは基本的に無神論です。
学生のころ、女友だちに、いわゆる「心霊スポット」といわれるところに連れて行ってもらいました。喜んでもらおうと、「あっ、何か感じる」と言ったら、「ここじゃないわよ!」と言われ,ひとりで帰ってきたことを覚えています。
あの世のこと。
死ねば肉体は消えてしまいますが、ぼくはときどき、何となく亡くなった人の視線を感じることがあります。繰り返しますが、ぼくは無神論です。言葉で伝えづらく、感じるのは視線としか言いようがありませんが、その眼差しののなかで、遺された人はやはり、幸せになってほしい。亡くなった人が家族をみるとき、だれもがいままでどおりに元気で暮らしていてくれるのがいちばんうれしいだろうと思います。
たとえば、ぼくの知人は配偶者をなくしても、楽しく人生をおくっています。先だった人は自分がイキイキと暮らしていることを見たいと思っているでしょう。気持ちよく生きてやらないと、連れ合いがかわいそうだ、と思うのも自然なことでしょう。そういうあたたかい気持ちがその人を動かしているのでしょう。
神さまとお話したといいます。
「書くこと」を仕事にしている知人のAさんは、無神論者ですが、神さまがいると思ったといいます。Aさんはある日突として卒中で倒れ、身体の半分が麻痺しました。神さまの存在を確信したのは、右利きのAさん身体の右半分は無傷で、右手で「書くこと」ができることでした、Aさんは、神さまに問いかけると、「まだ書きなさい」と言われていると思ったといいます。
このへんにしておきましょう。妙な宗教がうろちょろしている世の中だから、神さまのことなどは軽々にしゃべることではないと思うからです。
神さま、ごめんなさい。
東日本大震災や能登半島地震で亡くなった方などのことを考えていた。
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