筆さんぽ

フライトで隣り合わせた人 

2024年03月10日 ナビトモブログ記事
テーマ:エッセイ

仕事で、国内外を動きまわっていた中年のころ、北海道出張のとき、フライトで老婦人と隣り合わせたことがある。


ぼくは何も聞かなかったが、老婦人は「私には息子が二人いる」と語りはじめた。さほど長時間のフライトでもないので、書類を読むよりいいかと、黙って聞いた。

長男は、アメリカの大学を出た秀才で、日本で大学教授におさまっている。下の子は、あまり勉強が好きではなく、自衛隊に入って、好きな人を見つけて結婚し、子どもが生まれた。いまは東千歳駐屯地にいるが、きょうはじめて、札幌でお嫁さんと孫に会いに行くのだと、財布から息子夫婦と孫の写真を取り出して話す。

印象深かったのは、彼女が二番目の息子のことを「勉強は嫌いなんだけど、彼は人間が好きなんですよ」とほめたことであった。いい言葉だなと思った。母親が自慢してもいいほどのことでもあろう。

ぼくは、子どもは秀才でなくてもいいから、朗らかで、ものごとを好意的に見られて、世の中をおもしろがって暮らしてほしいと願っていたから、彼女に会えてよかったと思った。

そして彼女は続けた。
「その人がね、この世で『出会ったか』によって、はかられるように私は感じています。人間にだけではなく、自然や出来事や、もっと抽象的な魂や精神や思想にふれることだと思うのです。何も見ず、だれにも会わず、何事にも魂を揺さぶられることがなかったら、その人は、人間として生きてなかったことになるのではないか、という気さえするんですよ」

この老婦人の話を聞いて、何かの本で読んだ話を思い出した。
「文化」というのは、傍にいるだけで心やすらぐものだろうと思いたい。

すぐれた本に出会ったり、すばらしい名画をみるのはたのしい。
人は、高度に生きるのがいいにきまっている。
たかだか80から100年ほどという物理的時間の密度も質も
高い文化を感じるかどうかによって、ちがうものになるであろう。
人生の良否を決めるのは
カネではなく、感受性であるにちがいない。



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