筆さんぽ

たんぽぽ 

2024年03月09日 ナビトモブログ記事
テーマ:テーマ無し

たんぽぽのぽぽのあたりが火事ですよ   坪内稔典

つぼうち としのり、俳号では「ねんてん」) 1944年生まれ。国文学者。京都教育大学名誉教授。「船団の会」元代表。俳句の口誦性を重んじ、遊び心と軽妙なリズム感豊かな句を詠む。句集に『猫の木』『ヤツとオレ』など多数。

この句は、メンバーの方からおそわった。その方は、「面白いと思います。ただ意味はよくわからないけれど」とおっしゃる。ぼくもわからないが、たのしい句なので考えてみた。おしえてくれて、ありがとう。

たとえ念典さんにうかがっても、「意味と言われてもねー」と、同じ作者の「三月の甘納豆のうふふふふ」のように、ちいさく笑っているだけだろうと思う。

「くだらない、ばかばかしい」といえばそれまでだが、この句は、くすりとするが、確実に「記憶に残る」。それが作者のほほえましい「企み」だろうか。
念典さんは、「言葉」がお好きでいらっしゃる。言葉といちゃいちゃと戯れながら、にこにこと楽しんでいらっしゃるように思う。

言葉といえば、話はそれるが、かつて読んだ原田マハの小説『本日は、お日柄もよく』の主人公の女性の名前は「こと葉(は)」で、名付けたのは俳人の祖母であったことを思い出した。

俳句は言葉にしたとたん、作者から離れてそれを目にした人のものになる。念典さんは、それを目にした人の「反応」を楽しんでいらっしゃるのだろうか。こちらが
「うふふ」とすると、念典さんはうれしい。

「言葉が鮮やか」というと、向田邦子さんのエッセイ『眠る盃』のなかの「水羊羹(ようかん)」を思い出す・

「まず水羊羹の命は切口と角」で、「宮本武蔵か眠狂四郎が、スパッと水を切ったらこうもなろうかというような鋭い切口と、それこそ手の切れそうなとがった角がなくては、水ようかんと言えないのです」

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念典さんの連作「ぽぽのあたり」は「たんぽぽのぽぽのその後は知りません」で締めくくられている。
また、やられた。けれど、楽しいではありませんか。



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