読書日記

『流人道中記』上下 <旧>読書日記1560 

2024年03月01日 ナビトモブログ記事
テーマ:<旧>読書日記


浅田次郎『流人道中記』上下2巻 中央公論新社(図書館)

万延元年(一八六〇年)。姦通の罪を犯したという旗本・青山玄蕃に、奉行所は青山家の安堵と引き替えに切腹を言い渡す。だがこの男の答えは一つ。「痛えからいやだ」玄蕃には蝦夷松前藩への流罪判決が下り、押送人に選ばれた十九歳の見習与力・石川乙次郎とともに、奥州街道を北へと歩む。口も態度も悪い玄蕃だが、道中で行き会う抜き差しならぬ事情を抱えた人々を、決して見捨てぬ心意気があった。

「武士が命を懸くるは、戦場ばかりぞ」流人・青山玄蕃と押送人・石川乙次郎は、奥州街道の終点、三厩を目指し歩みを進める。道中行き会うは、父の敵を探し旅する侍、無実の罪を被る少年、病を得て、故郷の水が飲みたいと願う女…。旅路の果てで明らかになる、玄蕃の抱えた罪の真実。武士の鑑である男がなぜ、恥を晒して生きる道を選んだのか。

というのが出版社による内容紹介であるが、元は読売新聞で2018年7月1日〜2019年10月13日と455回に渡って連載されたもの。著者の語り口は巧みで、『黒書院の六兵衛』のように粗筋は単純とも言える話をさまざまなエピソードであっちへ寄り道こっちへ立ち寄りながらそっと主題を呈示する語り口であった。

ロードムービー的な話はとんとんと読み進めるのだけど、始めに違和感があったのは石川乙次郎が一人称として「僕」を使うこと。ちょっと語源を調べて見ると1860年代にそれまで謙譲性が高かったのが謙譲性が低くなったという(新明解語源辞典)から、この小説世界の中で使われてもおかしくは無いけれど・・これも著者による仕掛けであろう。

若くて真面目で頑固な石川乙次郎は「法とは何か?」を自問し、法の執行者としてあるべき姿を求めている。流人である青山玄蕃は終わり近くに「法」の前に「礼」があったと乙次郎に諭す。礼が廃れて法ができたのである、と。蛇足だが、これは朱子学を離れ中国思想と言うか儒教と言うか諸子百家のことを知っていれば当然のことであり、我が国でも江戸初期から中期には理解されていて朱子学では無い古学・古義学などが成立して国学が興るきっかけとなる。

さらに無神論を唱えた山片蟠桃など江戸期は思想的にも朱子学一辺倒ではなかったから、敢えて流人となることを選んだ青山玄蕃の考え方すなわち武士のあり方に疑問を持つことがあっても不思議はないが、小説的には難しいテーマで著者はこの作品で読者に伝える(納得させる)ことにはたして成功したのであろうか。
上巻(2021年8月26日読了)、下巻(2021年8月28日読了)



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